横尾忠則 肖像図鑑

knockeye2014-07-03

 ブログを書いていて、いつも戸惑うのは、たとえば、土曜日に、美術展を観たとしたら、それは土曜日の記事として書きたい気持ちがあるわけ。日記なんだし、後からふりかえるのにその方が断然便利なんだし。
 でも、記事を書いているリアルな日時を記録した方が正しいとも思うのだけれど、書いているうちに眠たくなって、途中で寝たりするから、結局、書いているリアルな同時性を反映するのは無理だったりする。
 それで、今は、記事の日付から一週間ぐらいずれてたりする。遅れるのは、仕事が忙しかったり、体調が悪かったり、逆に、体調がよすぎてエロに走ったりとか、いろいろだが、これを追いつこうという無駄な努力はとっくに放棄しているものの、一週間以上遅れてくると、リセットするしかなく、小さく敗北感を味わったりする。
 日曜日、世田谷美術館に「ラ・ジャポネーズ」を観にいった日は、その前に、川崎市民ミュージアムに「横尾忠則 肖像図鑑」を観にいった。そういうわけで、世田谷美術館には東急の用賀駅から直通バスに乗ったのだし、それで、ゲリラ豪雨の直撃を逃れられた。
 川崎市民ミュージアムは、ちょいちょいそそられる企画があるのだけれど、ここからはアクセスが悪い。でも、こどものころ、元住吉に住んでいたせいもあるのか、川崎はなんとなく空気感が懐かしい。
 ところで、クロード・モネの「ラ・ジャポネーズ」のおもしろさって、私たちの知っている、「睡蓮」と「積み藁」のモネが、こっちに行ってたらどんな絵を描いたか、みたいなことを想像する楽しさだろう。あの茶目っ気は、モネの他の名画にはないんだ。
 だから、「ラ・ジャポネーズ」を観ていると、ジャポニズムといいつつ、モネが日本画に何を読み取ったのかが、かえってよくわかる。ロートレックが浮世絵から感得しただろう、都市生活の洒脱、滑稽、猥雑、とはまったくちがうものをモネは日本画から取り出した。
 私たち日本人は、彼らが取り出したものから、遡って日本画を見直してみることもできる。
 横尾忠則は、今年二回目。むかし、兵庫県立美術館だった、西灘の建物が、横尾忠則の個人美術館になって、今年オープンした。ゴールデンウイークにはそこにもでかけた。
 草間弥生も描き続けているが、横尾忠則も描き続けている。
 横尾忠則は自由か?というテーマは考えてみる価値がありそう。今回は肖像画メインなので、写楽の大首絵を思い出しはするが、これほど多作でありながら、横尾忠則はしっぽをつかませない。「ああそういうことね」と
思わせない。
 自由とは何かと聞かれると私は考え込んでしまう。でも、たぶん、ここには自由があり、横尾忠則パウル・クレーのように自由なのだと思う。
 ふりかえってみると、パウル・クレーの自由は、ナチス全体主義に対置できる自由だった。
 自由である努力、とらわれない努力、開いている努力には、常に気をかけていなければとおもう。
 冒頭、ブログを書く時間と、記事の表記する時間のラグについて書いたのは、ひとつは、書いているリアルな時間の‘さっき’に、東浩紀が「吉本隆明の『最後の親鸞』が、なにかいてるかわからん。本人もわかってないんじゃないか」みたいなツイートをしていてびっくりしてしまったのを書こうと思って、日付が気にかかったわけよ。
 私は逆に、吉本隆明の本の中では、『最後の親鸞』がいちばんよくわかった。東浩紀って、すごい頭いい人にちがいないのに、「なんであんなにわかりやすいのがわからないの?」ていうのが衝撃で、それで考え直してみれば、私はずっと真宗門徒で、浄土真宗の発想が身についているのかもしれない。
 「わかる」「わかった」って言葉をいろんな人がいろんな場合に使うのだけれど、その言葉が意味していること自体が、ばらばらでありうるなと思った。
 浄土真宗では、機法二種一倶の深信といって、一機一法、これしかないというところまでそぎ落としていくのだけれど、法然親鸞のふたりが、仏の本意を突き詰めていく過程が、あの本ではすごくよくわかったと思ったのだけれど、でも、忘れてるかもな。