コロナの時代の美術館

 一週間前の話になっちゃうけど、国立新美術館にでかけた。
 そしたらこんな感じ。

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国立新美術館

 平日とはいえさびしすぎる。
 国立新美術館って、美術館と言いつつ、英語表記を見ればわかるようにartcenterであってmuseumじゃない。ので、所蔵品をもたない、アートの貸し展示場にすぎないので、イベントが取りやめになるこのコロナ禍の折柄、よりいっそう、がっらーんとしてる。
 「古典×現代2020―時空を超える日本のアート」という展覧会で、日本の現代と過去の美術家たちの仮想のコラボといった企画。ぶっちゃけオリンピックの人出を見込んでた気分もかいま見える。
 そんななかでも、ビビっときたのは、「円空×棚田康司」だった。
 もちろん、参加している作家さんたちはみんなすごいひとたちなんでしょうけれども、ケミストリーというか化学反応というかを一番感じさせたのは「円空×棚田康司」だった。
 「あれ、円空ってこんなに彫刻家だっったろうか?」と思ってしまった。

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円空

 「ジャコメッティ?」と、ほぼ脊髄反射みたいに思ってしまったが、この三尊像は、しかし、もともとは一本の木だったのである。おそらく、組み合わせればもう一度元の木材が復元できる。それはつまり、今もまだ斧の入った瞬間の木材として存在し続けているということでもある。
 その材のままでありつづけようとするこだわりがすごいと思った。あくまで、表現としての彫刻であり、祈りの形としての仏であって「みほとけなれど美男におわす」といった方向には向かっていかない。にもかかわらず「何これ?」ってことにならない。おそらく、山道でこれに出会っても見まごうことはないだろう。
 
 棚田康司の≪宙の像≫は、本人のキャプションにもはっきりと円空の影響をうけて、背面を手つかずの材のまま残している。
 また、年輪が衣文の表現に使われているなども材へのこだわりを思わせて面白かった。

 ケミストリーという意味では、「仙厓×菅木志雄」もよかった。
 菅木志雄がそもそも好きなので、とくに仙厓と組まなくてもとも思ったが、たしかに仙厓の〇△□の謎の絵は、「もの派」的とはおもわないけれど、菅木志雄の「もの派」は確かに禅を思わせる。
 中村一美展で紹介されていた『正法眼蔵』の一節

 もし画は実にあらずといはば、万法みな実にあらず。万法みな実にあらずは、仏法も実にあらず。仏法もし実なるには、画餅すなはち実なるべし。

は、道元ってすごいなと思うきっかけだった。

 「蕭白×横尾忠則」は、曾我蕭白横尾忠則もどちらもすごいので、今更ケミストリーも何もないけれども、前にも書いたけれども、横尾忠則は、いまTwitterに上げ続けているマスクのシリーズがすごい。

 「北斎×しりあがり寿」は、ケミストリーというよりパロディ。しりあがり寿は、ユニクロとコラボしたミッキー・マウストリビュートのTシャツがよかった。あやうく買いかけた。

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しりあがり寿×ミッキー・マウス UT