集団的自衛権行使容認を閣議決定

knockeye2014-07-01

安保条約の成立―吉田外交と天皇外交 (岩波新書)

安保条約の成立―吉田外交と天皇外交 (岩波新書)

 『安保条約の成立 ー吉田外交と天皇外交ー』という豊下楢彦の著書があるけれど、日米安保条約は日米講和条約と同時に調印された。日本国憲法は、最初から日米安保ありきで成立している。
 平和憲法が日本の平和を守ってきたわけではない。むしろ、日米安保平和憲法を守ってきた。
 だから、日米安保をどうするかから目を背けて「平和憲法を死守せよ」というのは欺瞞にすぎない。
 このへんのことを英フィナンシャルタイムスがこう書いている。

 ここに大きなジレンマがある。多くの日本人は、自国の指導者が米国にノーと言えると思っていないために、自衛隊に対する制約を取り除くことに反対している。この不信感の背景にある大きな理由は、日本が安全保障を米国に依存していること、つまり、まさにそうした制約があるがゆえに存在する状況だ。

 一回読んだだけではなんかよくわからないややこしい言いようだが、つまり、日本人は憲法九条がなければ、アメリカの戦争に巻き込まれると思っているのだが、アメリカの戦争に巻き込まれまいとすれば、自前の安全保障戦略を持たなければならず、そうなれば憲法九条を放棄せざるえないということ。
 平和憲法日米安保は、米ソ冷戦構造のもとで絶妙なバランスを保っていた。しかし、米ソ冷戦が遙か彼方に去り、国際状況の変化に伴って、日米関係も変化せざるえないとすれば、また日米安保のあり方も変化せざるえない。であれば、平和憲法も変わらざるえない、という、それだけのことで、おそらく、この状況での集団的自衛権行使の容認は、国際的にも理解を得やすいのではないかと思う。
 平和憲法が守ってきたのは、現実の平和であるよりは、「平和主義国家日本」という、わたしたちのブランドイメージだが、したがって、わりあいにこのダメージは少ないように感じる。
 この辺のことを英ファイナンシャルタイムスの如才ない表現で言い表すと、次のようになるようだ。

他国に与えられている権利を日本に認めてはならないと言うなら、日本は一意的に信用できない、あるいは悔悟しない国だということを暗示する。これは疑いようもなく、中国と韓国の多くの人が抱いている見方だ。日本政府は数々の場面で謝罪したが、そうした謝罪の誠意は疑われている。

 とはいえ日本は戦後の実績によっても判断されるべきだ。確かに日本の平和主義は米国の核の傘に保護されてきた。だが日本は1945年以降、どんな紛争にも一切、直接関与していない。

 つまり、集団的自衛権の解釈がどうあっても、日本が戦後70年、世界に向けて示してきた「平和主義」の実績は、いまだに強い国際的信頼を獲得しているということだろう。これを傷つけるかどうかは、今後の態度にかかっているだろう。
 集団的自衛権にかんしては、今の日米関係のリアルがこんなところだろうというにすぎない。褒められもしないものの、いまさら驚くまでもない。
 しかし、集団的安全保障となると、現状よりややきな臭い違和感を覚える。これにかんしては、公明党の反対で明記されなかったようだが、魚住昭によると、5月頃までは、安倍首相も集団的安全保障に否定的だったそうなので、見方によっては、集団的自衛権公明党に受け入れさせるための、釣り球として集団的安全保障を出してきたのかもしれないし、魚住昭のいうように、外務官僚が、将来、外交カードとして、集団的安全保障を手に入れたいと本気で思っているのかもしれない。
 もしそうなら、今回、日本が防衛について踏み出した一歩が、日本がアメリカの戦争にまきこまれるよりも、アメリカが日中の紛争に巻き込まれる危険性がより高いのではないかという、アメリカの心配も杞憂ではないかもしれない。
 いずれにせよ、戦争は外交的敗北の結果であることに議論の余地はない。その意味では、中国、韓国、北朝鮮、ロシアと、周辺国すべてと関係が悪化している、日本の外交の拙劣さが、現実の平和のためには、もっとも懸念される。
 憲法九条で戦争放棄をうたいながら、周辺国とは、けんか腰で高飛車という態度は、その「戦争放棄」が、所詮、アメリカのスカートのなかでのたわごとだというよい証拠だろう。
 本気で戦争放棄を目指すつもりならば、ロシアとの国交はとっくに正常化していなければならないはずだし、中韓との関係が、相手が反日カードを切り続ける現状、こちらから改善しようがないかぎりにあっては、北朝鮮を取り込んでおくことは必定であるはずだ。
 とくに、アメリカがいまだに米ソ冷戦を引きずって、ロシアと敵対しているのは残念だ。ロシアはもはやかつてのソ連ではない。ロシアと領土問題を抱えている日本は、日露、日米ともに関係を悪化したくないわけだから、米ロの関係改善に向けた仲介役として、積極的に立ち回るべきだと思う。でなければ、ロシアは中国に接近せざるえない。これは絶対に避けなければならないと思うし、おそらく、ロシアも、文化的にも、歴史的な背景からも、中国よりは日欧米に近づきたいはずだと思う。
 憲法九条の条文さえあれば、平和が保たれるわけではない。憲法九条を‘おけちみゃく’かなにかのように奉る心理は、アメリカの核の傘の下で、日本人が身につけた精神の怠惰にすぎないだろう。
 ただ、集団的自衛権行使容認の閣議決定をめぐって、今回もまた、明らかになったのは、日本のマスメディアの機能不全である。以下に挙げるフィナンシャルタイムスも言及しているが、この閣議決定に抗議して焼身自殺を図った男性がいたことを、報道した日本のマスメディアがほとんどなかったことが、集団的自衛権の行使容認とほとんど同じ比重で、欧米でニュースになっている。
 集団的自衛権そのものは、国際的にふつうなことだが、日本のマスメディアの機能不全は国際的にも異常なことだからだろう。国民的議論を喚起する役割はマスメディアが担うと考えるべきだが、おそらく日本のマスメディアの多くはデマゴーグにすぎず、彼らは自身の職業的使命を、大衆を扇動することだと考えているようだ。