朝日新聞の虚偽報道はほんとうに「歴史的事実」を変えていないか

knockeye2014-09-05

 ‘「慰安婦は強制動員」 韓国外務省、朝日取り消しでも見解変えず’
という記事があった。
 「見解変えず」って言うわりには、「強制連行」が「強制動員」に変わってる。
 「動員」と「連行」はどう違うか?。たとえば、EXILEが、112万人を「動員した」とは言うけど、「連行した」とは言わない。
 この報道で、韓国外務省報道官は、「強制性の証拠は多い」と語っているが、「強制連行の証拠」とも「強制動員の証拠」とも言っていない。この辺の言葉の使い分けに、注意深く耳を傾けていなければならない。
 そもそも、慰安婦について「強制性」はあたりまえなのであって、そんなことは最初から誰も争っていない。これに対して「強制連行」は、何人かの研究者がウソだとずっと指摘し続けてきた、その内容は、まさに、このたび朝日新聞が虚偽を認めた、吉田清治の証言ををさしている。朝日新聞が、32年間も真実だと主張したまま放置した、その「奴隷狩り」のイメージは、「強制連行」という言葉の意味を常に限定し保証してきたのだということを忘れてはならない。
 「強制性」の証拠をいくら積み上げても、「強制連行」の証拠にはならない。今回、韓国の報道官が、「強制連行」の言葉を使わなかったのは、この言葉がもはや外交の現場では使えないと判断したからだろう。朝日新聞が虚偽報道を放置したことが、どれほど広範な影響を及ぼしたかについて、検証が足りないといわれるのは、たとえばこういう点だろう。
 この報道官はまた「万人が知っていることは証明する必要はない」と発言したそうだが、東洋的レトリックを取り除けば、「証明できません」ということにしかならない。こんなふざけたレトリックを現実の外交の場で平気で使う不誠実さこそ、韓国政府のいう「慰安婦問題」の本質が、実は、人権問題に偽装した、プロパガンダにすぎない証拠とも言えるだろう。
 だいたい、ほんとに「万人が知っていること」なら、1990年代にニュースになったりしない。
 本来なら、慰安婦という戦争被害者がいました、だから、この人たちに支援しましょう、で済むこと。日本は戦争責任を認めてるんだし。その戦争の被害者に謝罪し、補償するのに、大多数の日本人は何の異存もないはず。
 そこにどうして、「強制連行」とか「強制動員」とか、話を盛ろうとするのか?。「強制連行は本質ではない」とか今になってぼそぼそ言い出してるけど、じゃ、そもそも‘本質でない’「強制連行」に固執したのは誰で、そして、なぜそれにこだわったのかっていうと、この議論の主眼にあるのが、元慰安婦の救済ではなく、日本に対する憎悪だからこそ、事実であるかないかもかえりみず「強制連行」っていう犯罪性の部分を強調せざるえなかった。しかし、それも、朝日新聞のデマがなければ、ここまで抜き差しならないことになったかどうかわからない。
 この問題は、このさき、どういじくりまわしても、大きな構造にはたどりつきそうにない。一つ一つの例は悲惨だけれど、それは、戦地という極限状況におかれた人間の暴走でしかない。それをどうしても、それ以上の何か、国家的な、あるいは民族的ななにかに持っていきたいと思っているなら、そう思っているあなたが差別的であるにすぎない。
 慰安婦というファクトに、強制連行というファンタジーを混ぜ合わせた結果、その化学作用で「慰安婦問題」は蒸発してしまった。それが今の状況のように見える。
 歴史的事実としての慰安婦については、池田信夫が言っていることが正しかった、と私は思うが、いずれにせよ、朝日新聞には歴史的事実を主張するどんな権利もない。
 冷静に考えれば、元慰安婦の方には薄情なようだけれど、当時、「強制動員」されていたのは、何も慰安婦だけではないのであって、そのひとつひとつについて請求しない前提で、日韓の国家間で補償協定を交わしたはずだった。
 そういう経緯を踏まえれば、元慰安婦に国家賠償はできないのだから、アジア女性基金というやり方は、有効で現実的な救済方法であったはずだが、それを阻んだのも、朝日新聞の捏造した「強制連行」にこだわる韓国の国粋主義的な世論だった。
 こうしてみてくると、今、必要なのは、「慰安婦問題」にこびりついた「強制連行」をはじめ、さまざまなウソやプロパガンダを取りのけていく作業であり、検証というなら、朝日新聞がするべきことは、まさにそうしたことであるはずだが、驚くべきなのは、このような虚偽報道を32年間も放置しておいて、「歴史的事実は変わらない」と言って憚らない鉄面皮ぶりだ。実際は、あちこちで歴史的事実をゆがめている。
 おそらく、戦意高揚に邁進した戦中から、変わらないのはむしろ朝日新聞の体質であるだろうことは、吉田調書をめぐって、またろくに取材もせず、デマを振り回していることからも分かる。
 これについては書く気もない。朝日新聞ウォッチャーになるつもりはない。20年も前に新聞に対する信頼は失った。ケツ拭く役にも立たない紙くずに注意もカネも払ってられない。