「物語る私たち」、「ローマ環状線 めぐりゆく人生たち」

knockeye2014-09-08

 先月の話になるけど、「物語る私たち」、「ローマ環状線 めぐりゆく人生たち」と「たち」つながりのドキュメンタリー映画を観た。
 「ローマ環状線」のほうは、ヴェネチア国際映画祭で、ドキュメンタリーとしては、はじめて金獅子賞を獲得したっていう、ちょっとやそっとじゃない鳴り物入り
 ローマにも日本と似たようなフツーな人がいっぱい生きてるんだなとは思ったけど、ドキュメンタリーにしては、カメラがこんなところまで踏み込んだ!というスリリングさはないし、かといって、無作為に何かが起こるのを待ってるっていう撮る側の忍耐力も感じない。多分、言葉のニュアンスがわかるとまた違ったかもしれない。
 見終わった後、前の席にすわっていたカップルの女の子が男の子に「ごめんね」って謝ってました。
 男の方は「いやいや、そうでもないよ」といってました。
 たしかに、謝るほどではないです。
 「物語る私たち」の方は、「テイク・ディス・ワルツ」、「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」の監督で女優でもある、サラ・ポーリーというカナダの人が、彼女が11歳のときに亡くなった、お母さんの秘められた過去をたぐっていく映画で、やがてサラ自身の出生の秘密まで明らかになる。面白いのは面白いんだけど、こういうのって、ふつうは、いちばん大変なのはサラ自身ということになりそうなんだけど、そこの心理はほとんど描かれない。
 むしろ、彼女の4人の姉、兄たちの方が、感情を揺さぶられて雄弁になっている。それがすごく不思議だった。姉や兄たちに語らせているのかもしれないが、むしろ、この家族の中では、末っ子の彼女は、聞き役でいることが自然体でいられるというのがほんとうなのかもしれない。
 砂田麻実監督の「エンディングノート」は、自分の父親の最期をエンターテイメントに変えていたけれど、この映画は、自分の出生にまつわるあれこれを、軽い笑いにのせて差し出している。女性のリアリズムを感じた。
 ただ、「FORMA」を観たあとなので、ドキュメンタリーでさえ、作り手の作為が鼻につくように思えた。次なにが起こるんだろうというハラハラは、最近では、あの映画を超えるものはない。