「エル・クラン」

knockeye2016-09-16

 人間の記憶は当てにならない。まぁ、「人間」でくくっていいかわからないものの、とにかく、わたしは「エル・クラン」に主演しているギレルモ・フランチェラについて、2010年の記事に
「ところで、パブロ・サンドバルを演じたギレルモ・フランチェラがすっごくおかしかった。いい味の役者っていろんな国にいるもんですね。」
と書いている。アメリカアカデミー賞外国語映画賞を受賞した「瞳の奥の秘密」という映画のレビューだが、申し訳ないことにギレルモ・フランチェラについてはきれいさっぱり忘れている。主役の人については、のちに「人生スイッチ」にも出てたし、憶えているのだが。
 しかし、「エル・クラン」を観て思い出したこともある。2012年に観た「瞳は静かに」という映画で、これも、傑作とブログで褒め称えながら、内容は思い出せない体たらくだが、その時の監督インタビューで

 私は、映画の舞台と同じ、サンタ・フェ出身ですが、数年前、あるテレビのドキュメンタリーで、軍事政権時代、情報局の地下組織があったことを知ったのです。
 そこに何ヶ月も監禁されていた女性が出ていました。彼女は、長期に渡る監禁と拷問の結果、時間や空間の感覚を失っていました。彼女と外の世界をつないでいた唯一のものは、向かいにあった学校のチャイムと、校庭で遊ぶ子どもたちの声でした。
 その音で、彼女は昼なのか、夜なのかが分かり、朝一番のチャイムがなるときに
「あと1日生きよう」
と声高に自分に言い聞かせたそうです。
 その女性が、いつ頃から、どこに監禁されていたかを語ったとき、背筋が冷たくなりました。その学校とは、私が通っていた小学校だったからです。
 当時、小学校4年生。学校の向かいのビルに彼女が監禁されていた。彼女が聞いていた子どもの声のなかに、自分の声も混じっていたはずだ。そう思うと、頭から離れず、親族が集まった夕食会で、その話をしたのです。
 すると、親戚のひとりが言いました。
「ああ、私たちは知っていたよ」と。
 それが、当たり前のようにサラッと言ったことに衝撃を受けました。
 そのときに思ったのです。これは、物語だ、と。
 監禁された女性の物語ではなく、日々の現実のなかに恐怖を組み込み、それを当たり前のこととして生きる、と決めた地域の人々の物語だと。
 それを書かずにはいられなかったのです。

 アルゼンチンの軍事政権下の暮らしについて、もちろんわたしも詳しいわけではないが、すくなくとも、こういう現実を踏まえた上で観ないと、この映画が実話だとはとても信じられないと思う。
 ギレルモ・フランチェラが演じているこの家族の家長は、もと情報局に勤めていた。映画の冒頭、アルゼンチンが軍政を脱して民主化したことが語られるが、軍事政権の一員として生きてきた人たちの中には、その変化に対応できないケースもあったにちがいない。
 特に、アレハンドロというこの家族の長男は、ラグビーのアルゼンチン代表のスターだったのに、どういうわけで父親の汚れ仕事を手伝わなければならなかったのかと、責めるのは簡単だけれど、誰もが時代のくびきから逃れられないのだし、後付けの理屈で人を責めることは誰もできないだろう。
 ヨシとするつもりはない。しかし、後から、かさにかかって人を吊し上げる人たちを見ていると、結局、この人たちも、当時の人たちと同じく、時代の風潮に易々と乗ってるだけだし、おそらく、風向き次第で手のひらを返すんだろうなと鼻じらむというだけ。