「海は燃えている」

knockeye2017-02-12

 日本はもっと難民を受け入れるべきだと思っている。できれば何万人単位で受け入れたほうが良いと思っている。少人数で受け入れるとかえってケアが行き届かない。大きな団体で受け入れれば、自然にコミュニティーを作るし、そういうコミュニティーには、彼ら自身の規範が生まれる。
 それと、これは日本人の低所得層も併せて、ベーシックインカムを実施すべきだと思う。文化的生活に支障が出ない程度の収入は、国が支給するのがよい。
 今、日銀の黒田総裁が一所懸命お金を回そうとしているわけだけれど、うまくいかないのは、お金がいったん銀行に入るからだ。今は高度成長期ではないし、人口もどんどん減って高齢化しているので、銀行も貸し出す先がない。
 だったら、低所得層にお金を配りましょうよ。もらえば絶対使わざるえないんだから。難民が何万人単位で入れば、その人たちが一斉に使うんだから、さらにいいでしょう。使うってことは物が売れるんだから。その分、税収になって帰ってくる。
 もうひとつは、第一世代には日本語教育を、第二世代には、差別なく教育機会を設けること。経済格差よりも教育格差が様々な問題を生むってことは、エマニュエル・トッドも言ってた。
 それに、私たち自身にとっても、マルチカルチャリズムのよい訓練になる。国際的にみれば、私たち日本人こそ少数派なんだし、国際社会で生きていくためには、協調していくしかないわけです。第二次大戦でああいう大きな災厄をもたらしたにもかかわらず、もういちど国際社会に受け入れてもらえて、今は、逆に難民を受け入れられる立場にあることはむしろ喜ばしい。どんどん受け入れりゃいい。
 と、ここまでは、私が普段考えてること。
 それとは特に関係はないが、Bunkamuraル・シネマで「海は燃えている」って映画を観てきました。
 これは、ジャンフランコ・ロージって監督の映画で、この人のこの前の映画「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」って映画も、私は実は観てるんです。ヴェネチア国際映画祭で、ベルトリッチとか坂本龍一に激賞されて、ドキュメンタリー映画として初めて金獅子賞を受賞した。
 だけど、正直言ってわたしはわけが分からなかった。眠くてしょうがなかった、朝早い回だったし。
 でも、観といてよかったなと、今回のを観て思った。あ、こういうことだったのねって。わからなくても観とくもんだなと思った。ちなみに今回のは、ベルリン映画祭で金熊賞を受賞してます。メリル・ストリープが大絶賛です。
 個人的に、前のより今回のが優れてるなと思うところは、コントラストがはっきりしていることと、登場人物が絞られていることです。
 イタリア最南端の島、ランペドゥーサ島ってとこにジャンフランコ・ロージ自身、一年半移り住んで撮ったドキュメンタリーです。
 フィオナ・タンの「クラウド・アイランド」をちょっと思い出したんですけど、あれはむしろ「ローマ環状線・・・」のほうに似てるかも。あれは日本が舞台だから退屈じゃなかったのかな。
 ランペドゥーサって島には、人口が5500人しかいないんですけど、年間にして五万人を超える難民がたどり着くそうです。多くの人が亡くなるので、今は、島にたどり着く前に救助の船を出していて、島はその前線基地にもなっている。
 島にはお医者さんが一人しかいなくて、その人は、一方では難民の治療をし、亡くなった難民の検死をし、島の人たちの診療もするわけです。この人を、いわば焦点として、難民と島民のふたつの風景が重なっている。悪夢を見るそうです。
 実際の難民救助の様子も映像に収められてます。船底に折り重なって動かない人たちの姿も。
 ジャンフランコ・ロージってこの人の優れた資質は、せこくレンズに自我を忍ばせないことだと思います。
 映像を言語に従わせようとするプロパガンダは最低だけど、多くの凡庸なドキュメンタリー作家はそうなってしまう。自分が取捨選択した事実なのに、カメラが捉えなかった事実もいっぱいあるのに、「事実だから、真実だ」と主張してしまう。
 ジャンフランコ・ロージは「シネマというものが現実を浮き彫りにする。現実を切り取るとき、私はシネマという言語を使いたいだけ」と語っている。フィオナ・タンが、自身の映像作品を、彫刻だと言っていたのに近いものを感じます。