バナナマンとアップルウォッチの絶妙さについて

knockeye2015-05-23

 先週のバナナマンのバナナムーンGOLDは、日村勇紀誕生日の週、恒例の星野源が登場して、6年連続となる、自作のバースデーソングを披露していた。
 この回を聞いて思いついた、バナナマンを好きな理由は、キャラにプリテンドしていく、そのずらし方が絶妙。
 たとえば、星野源がスタジオに入ってくるときのふたりの掛け合い、
日村 「よぉ〜、源くん、歌は?、歌、あるんでしょ」
設楽 「ちょっと、日村さん、恥ずかしいよ、まだ席にもつかないうちに。源くんも6年前と違ってもう忙しいんだしさ」
日村 「それ言うんだったらバナナマンだって、そこそこ売れてんじゃないの。源くんの方が売れてるからとかそういうの違うんじゃないの」
設楽 「こうしてお祝いに来てくれるだけもありがたいんで、曲はなかったとしてもさ、感謝しなきゃいけないんだからさ」
日村 「そりゃそうだけど、なんか、源くんがカリスマだから、みたいな言い方するから・・・」
 これ、バリエーションこそ違えど、去年も同じような掛け合いをやっているの。つまり、星野源がスタジオに入ってくるシチュエーションで、バナナマンのふたりがプリテンドするキャラなんだけど、それが本来のキャラから離れ過ぎたら引いちゃうし、何にも演じなかったら「素人かよ」って話だし、それを面白くやれるのが結局「力量」なわけじゃない?。
 それで思い出すんだけど、今みたいに、設楽さんの年収が5億もなかった頃、バナナマンふたりで「さんまのまんま」にでてるのをみた。日村さんが女にふられたときの話にさんまさんが絡んでいくわけだけど、火花散らしてる感じで面白かった。ブログを調べてみたら2009年だから、それこそ6年前だね(つまり、6年前からオレはバナナマンに注目してたということが書きたいわけよ。ブロガーってクソはそういうこと書きたがるのよ)。
 わたしの場合は、そういう、なんかサッカー観るみたいな、笑芸人の評価の仕方をしがちなみたい。つまり、ボールが来たときの反応の速さと、そのボールをどう処理するかのひらめきのスリリングなプレーを観たいわけじゃない?。バナナマンはそういうところ、今、絶妙だね。
 それで、話は変わるけど、今週のバナナムーンGOLDで、設楽統がApple Watchをしてるって、話題になっていた。
 グーグルグラスが、「俺はまだ死んでねぇ!」みたいなジタバタ状態なのに比較すると、Apple Watchは好調のようで、新しい恋を手に入れたばかりの日村勇紀も、「俺も欲しい」と駄々を捏ねていた。
 ガラケー消滅の報道を受けて、私もスマホにしようかなぁとヨドバシをブラブラしたわけ。まえにも書いたけど、わたしのように、デスクトップ→ノート→タブレットていう履歴の人は、ガラケースマホタブレットという人とはスマホに関する感じ方が違うみたい。
 今、わたしはUQ-WIMAXPHSなんだけど、まあまあよいパッケージだって、ヨドバシの店員さんと話しながら、逆に確信してしまった。スマホ一台持つのとiPad miniPHSの2つ持つのとコスト変わらないもん。分散してる分、電池の持ちもよいし。
 確かに、モバイルルーターにつなぐ一手間はかかるのだけれど、iPad miniの文庫本を開いた感じのこのサイズが、動画や写真を観るときも小さすぎないし、iPhone6なり、nexus6なり、いわゆるファブレットのあのサイズは、PHSに比べると、電話としてはでかすぎる。
 で、今日、設楽統がApple Watchで通話した話を聞きながら思ったのは、これ、私がiPad miniPHSに分けてやっているのと一緒だなって(サイズ感て意味ではね、iPad miniPHSは全然リンクしませんし)。iPhoneiPodからだんだんデカくなってきて、「あれ?、これ電話としてチョットでかくね?」ってなる絶妙なタイミングで、Apple Watchが投入されたわけ。
 男はまだファブレットでもポケットに入るけど、それでもギリギリじゃね?。女の子だとバッグに入れるしかないわけで、不便に思う場合も多々あると思う。そういうときApple Watchなら、大事な電話を逃しません。
 そういうわけでまた売れるかもな、Apple Watch。あとはデザインと拡張性かも。
 ネットで見かけたんだけど、フォッシル×イーリー・キシモトのこんな感じくらいオシャレだったらなぁ。