『復興期の精神』

knockeye2015-10-16

 先日もちらっと先出ししちゃったけど、花田清輝の『復興期の精神』を読み終わって、もう一回、読み直している。
 読み始めたときは、「これ、いったい何書いてるの?」って感じで、そのうち、「要するに、ペダンチックな長口舌ね」と、とりあえず、早合点して、付き合い始めたのだけれど、どうも、そういうことでもないらしいぞと、気がついたのは、もうほとんど読み終わりかけた頃だった。
 これが出版された年が、1946年なんだった。今年、2015年ですら、まだ戦後であるならば、その年は、まだ戦後とすら言えないのかもしれない。
 本文が書き綴られていたのは、もちろん、ほとんど戦争のさなか。であるからには、一見、ペダンチズムに見える、これらのとめどない思考の氾濫には、確かに狂気が秘められている。
 私は、普段、絵ばっか観てるせいで、つい絵になぞらえてしまうのだけれど、川端龍子が、防空壕の中で描き続けた、燕子花の屏風を連想した。
 尾形光琳の、装飾的な花びらの反復からなる、意味を拒絶するかの、完璧な空間表現が、なぜ、20世紀の、おそらくは、わが国の歴史上、最も愚劣な戦時下の、日本画家の絵筆で再現されようとしたのか。再現というより、むしろ、挑戦されたのか。その狂気と、同質の狂気をこの書物には感じる。
 知性が咆哮すれば、こんな書物になるのではないか。知性を叫んでいる人はよく見かけるけれど、知性が叫んでいると感じさせる人はまずいない。その意味で、名著というより、奇書と呼びたい。
 私は、こういう狂気こそ知性だと考えているので、どこか、模範解答のカンニングを思わせる、戦後民主主義には、ひそかであったり、明らさまであったりは、その時々によるが、侮蔑の念を抱かずにおれない。
 福田和也坪内祐三が対談で言っていたが、戦後日本の状況は、どこまでも「フォニー」なのだが、問題は、「フォニー」であること自体ではなく、「フォニー」である状況を、さも(phonyの対義語をどう書けばよいのか迷うけれどとりあえず)「proper」であるかのようにふるまう、救い難い欺瞞だと思う。
 現実の状況が「まがいもの」であることは、とりたてて珍しいことではないだろう。であれば、その状況に対して有効な行動をとることこそ「まっとう」であるだろう。であるのに、「まがいもの」を本物であるかのように、祀り上げる風潮は、危険というよりはまず、滑稽に映る。現実が「まがいもの」である状況に気がつきさえしないのだとしたら、その人の認識も行動も、状況の一部でしかありえないと思えるからだ。
 こう書きながら私が思い浮かべているのは高橋源一郎なのだけれど、この人の『さよなら、ギャングたち』は、吉本隆明が『マス・イメージ論』で、「ここで現在のイメージ様式そのものが高度で、かなり重い比重の〈意味〉に耐えることがはじめて示された。」と、その出現は鮮明だったと書いている。
 だが、こうも書いている。「どうしてここまで突っ張っているのに、この作者はにやけた顔をしてみせなくてはならないのか。ほんとうは作者のなかで、現在のイメージの変成の必然に頸ねっこを抑えられる状態が、恐怖とみられているのだ。」
 高橋源一郎の『恋する原発』を読んだ時、ちょっとはぐらかされた思いがしたのは、石牟礼道子の一部がそのまま引用されているところで、反原発をテーマのAVという設定が破綻してしまったと思ったからだった。石牟礼道子の世界がAVになるなら、それは大したものだった。しかし、ただ挿入されているだけでは(AVだけに)、戦闘放棄だと思う。
 『マス・イメージ論』も賛否のある本で、著者自身が「射程の短さ」に言及しているが、私の理解力では、部分的に分かっても、全体として何を標的として射抜こうとしているのかまでは、よくわからない。ただ、現在を捉えようとするあがきであることは伝わってくる。
 「停滞論」の章の冒頭にはこう書いている。
 「わたしたちのあいだで、言葉がいま倫理的に振舞っているのをみたら、現在の停滞のいちばん露骨な形式に、身をおいたじぶんを肯定しているか、政治的な言葉を退化させて、倫理の言葉で代償しているかどちらかだ。その倫理の言葉は民衆的にみえようと、反民衆的にみえようとおなじことだ。」
 こうかんがえると、私は、適度にわからない本を読むのが大好きだとも言えるだろう。しかし、『マス・イメージ論』のわからなさと『復興期の精神』のわからなさは違う。
 また川端龍子の燕子花がイメージに浮かんでしまうが、『マス・イメージ論』を、現在を射抜こうとして、何度も試みられるスナイパーの射撃にたとえるなら、『復興期の精神』は、虚無と不毛と荒廃の現在に無差別に降り注がれる絨毯爆撃の感がある。
 1966年の新版あとがきに、出版時の毀誉褒貶について「戦争中、わたしが期待していたような戦後ではなかった」と書いている。時代の現実は、人知を超えて変転してゆくのだろう。
 1946年版のあとがきと読み比べると、現実と格闘する厳しさについて考えさせられる。