濱口竜介と三島由紀夫、吉本隆明、江藤淳、村上春樹

 濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』を観て、そして、彼の作品に対する世界中の熱狂を見て、改めて、書き言葉(テキスト)こそが言葉だと確信する。
 言葉で何かを作ろうとすると、それがたとえ即興劇であったとしても、言葉は書き言葉になるしかない。これはごく当たり前のことだった。
 これを書きながら考えているのは、三島由紀夫の最後のインタビューで、三島由紀夫が、彼自身のことを「反知性」だと語り、その一方で「日本の古典の言葉が身体の中に入っている世代は自分たちで最後だ」と語っていたことである。この2つの発言は、どこかひっかかりを感じて記憶に残った。
 「反知性」は、今さかんにネトウヨについて使われる言葉だから、右翼のアイコンである三島由紀夫が、自分を「反知性」と定義しても不思議ではないようなものだが、たぶん、三島由紀夫のいう「反知性」は、ネトウヨの「反知性」とは文脈が違う。
 というのは、三島由紀夫が反知性を口にしたとき、引き合いに出していたのは戦前の知識人たち、いわゆるオールドリベラリストたちだったからだ。
 三島由紀夫が自分を「反知性」と呼んだのは『三島由紀夫vs.東大全共闘』という映画の中だった。そのとき、具体的に丸山眞男の名前を挙げて批判していた。
 これを聞いて私には長年の疑問だった吉本隆明丸山眞男批判の謎が解けた。丸山眞男の本と吉本隆明の本を読んで、この2人が反目していると聞いたら、誰もが「何故?」と思うだろう。両方と親交のある鶴見俊輔は「困った」と回想していた。
 三島由紀夫吉本隆明は一歳違いの同世代である。この2人の思想はおそらくまったく違うだろう。少なくとも丸山眞男吉本隆明の隔たりは、三島由紀夫吉本隆明の隔たりよりはるかに近いはずである。その2人が、反丸山眞男では一致していた。
 この2人の場合「反知性」は、知性そのものというより、知性の無効さについての批判だった。自分たちが死地に赴くかもしれなかった世代にとって、暴力に対する知性の無力さは決定的だったのではないか。知性を言葉と置き換えれば、三島由紀夫は言葉を捨てて行動に、そして、暴力に走った。吉本隆明は自分の言葉で言葉に対抗しようとした。この違いがその後のふたりを分けたと思う。
 しかし、この2人だけでなく、知性、言葉、に対する不信はその後もムードとして長く続いた。言い換えれば、日本の文化がサブカル化したということである。
 江藤淳村上春樹サブカルチャーと評していた。江藤淳にとって「サブカルチャー」とは、「アメリカ」のことなのだと思う。江藤淳三島由紀夫は、戦後の日本語が歪められてしまったという感覚を共有していると思う。江藤淳はそれを占領軍の検閲のせいだとしたわけである。そして、それに続くマスメディアの自己検閲のせいだと。
 三島由紀夫は、日本の古典の言葉が身体の中に入っているのは自分たちで最後というのだが、三島由紀夫の文章がそういうほど古典的だろうか?。
 私はここにあるのも言葉に対する不信感だと思う。全共闘の学生たちはほとんど本を読まなかったという伝説がある。マンガばかり読んでいた。江藤淳は、いったん反安保のデモに参加するが、やがて背を向けることになる。推測だが、彼はそこに反知性を嗅ぎ取ったからだろう。
 三島由紀夫の矛盾は一方で「反知性」を言いながら、一方で「日本の古典の言葉」の最後の世代を任じていたことだ。一方で言葉に反発し、一方で、言葉に殉じている。彼の行き詰まりがよくわかる。
 江藤淳は、吉本隆明三島由紀夫よりは少し若い。この差は、江藤淳の場合、戦前の知識人に反発するには若すぎたということだと思う。彼の場合、そこから生じた反知性の空気だけを実体として受け止めることになったのではないか。
 江藤淳の「閉ざされた言語空間」の論理は、私にとっては加藤典洋の『アメリカの影』でほぼ完膚なきまでに反駁されてしまっている、というより解読されてしまった。
 しかし、三島由紀夫江藤淳が共有していた日本語の危機という感覚は、江藤淳の論理とは別に、日本語の内部からの崩壊だったのではないかと思う。戦前戦中に、右翼や軍部が弄んだ言葉(今思っても気持ち悪い言葉がいっぱいある。たとえば「天皇の赤子(せきし)」という言葉。日本人は天皇の赤ん坊だというのであるが、それだけでも気持ち悪いのに、さらに「赤子」を「せきし」と訓ませるセンス。)、敗戦直後、太宰治が「ただただ恥ずかしかった」と言って、軍部の「意表の外に出ず」という言葉を例に挙げていた。それに加えて、軍部の恥ずかしい言葉に無力だった知識人たちへの反発から、反知性へ、つまり、言葉への不信に陥ってしまった日本の「言語空間」(とここで江藤淳の言葉を敢えて使いたい)。
 そうして、サブカル化した日本語の到達点として村上春樹がいる。かれが小説家である以上に翻訳家であることを思い出すべきだろう。
 その村上春樹の最近の小説「ドライブ・マイ・カー」を、原作にはないチェーホフの「ワーニャ叔父」のテキストを加えることで立体化させたのが濱口竜介だったのである。
 多言語からなる劇中劇は、日本語もまた他言語と同じく、対話に、プラトンの対話篇のような対話に、用いられるべき言語であることを示してみせた。これは、SNSの覆う世界で、言語の重要性を宣言したと言ってもいいわけで、彼の作品が世界で支持を集めているのも納得できる。
 トランプ大統領の登場で、言語の危機に直面した世界が、もう一度正統な言語を希求し始めている、濱口竜介の今のブームは、その兆しなのではないかと思う。

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