村上隆の五百羅漢図展

knockeye2015-11-04

 森美術館村上隆の五百羅漢図。全長100メートルに及ぶ。東日本大震災へのカタールからの支援に対する感謝を込めて2012年、ドーハで発表された。
 紹介されていた村上隆の言葉で印象的なのは、「NYを歩いていて日本のアニメを目にすると『おっ!』と思う」それが自分の(ここの彼自身の言葉がいま思い出せないが)個性の核なんだと気づいたというのがあった。村上隆は日本のアニメやマンガの文化を、日本の美術史と「接続」したといわれるが、その「接続」は、彼の個性であると同時に、同時代的な真実でもあると、共感されていると思う。
 たとえば、みうらじゅんが仏像を見て、怪獣やヒーローを見つけてしまうように、テレビアニメやマンガの作り手と、その受容者である私たちが、無意識に共有している世界観を、村上隆は、もっと意識的に、美術史的な視野で、ときには挑発的に、表現している。
 京都国立博物館にある西往寺の《宝誌和尚立像》に村上隆が扮している(?)写真があった。顔が真っ二つに割れて、中からまた顔が出てくるあの仏像のインパクトは、一度見たら忘れられないが、しかし、私はあれを見ると、石ノ森章太郎の「キカイダー」を思い出してしまう。
 仏像に想をえたと思われる、金色の造形作品が素晴らしいと思った。カッパのような、弥勒半跏思惟像のようなのは、製作中のものをテレビで見た。その時はまだ白くて、それも良いと思ったが、実物はスケール感があって、迫力がある。
 炎の表現など美術史的な教養の確かさを感じる。たとえれば、俵屋宗達風神雷神インスパイヤされた尾形光琳が紅白梅図を描き、それをまた酒井抱一が夏秋草図に変奏するといった、伝統の継承の最先端に立ち会っている気がする。
 村上隆の作品から受ける感銘は、本質的には、そうした古典主義的なものだが、しかし、古典と言っても、日本の場合は、古典が混沌を含んでいる。神道的であったり、仏教的であったり、中国的、インド的、高麗的、土着的。そもそも、この「〜的」という言葉が、「〜tic」という英語の語尾を漢字に移したものであったりする。
 なので、私たちは、古典を深く遠く遡って行けば行くほど、実は、自分の内側に潜り込んでいた、といったことがありがちだし、そうあるべきだとも思う。
 考えてみれば、ジャポニズムインパクトは、西洋の古典の概念をゆるがしたことが、その最大のものだっただろう。浮世絵に、単に、東洋の新奇を見ただけなら、誰も感動はしないだろう。浮世絵の男女の姿に、彼らも自分自身を見たはずである。
 正確な言葉が思い出せなくて恐縮だが、村上隆は、芸術の本質は、自分自身の個性を取り出して、世界と対峙させることでしかない、という意味のことを言っていた。村上隆は、たしかに、そうした格闘の現場に立ち会うことのできる、稀有なアーチストである。
 ちなみに、この五百羅漢図に着想を与えたという、狩野一信の五百羅漢図が、東京芝増上寺宝物展示室なて公開中だそうだ。あの絵師も変わった人で、狩野を名乗っているが、狩野派ではない。生涯をかけて100幅の羅漢図を描いて奉納した。