パリ・グラフィック ロートレックとアートになった版画ポスター展

knockeye2017-11-07

 永青文庫で時間が余っちゃったので、三菱一号館美術館で「パリ・グラフィック ロートレックとアートになった版画ポスター展」を。
 ロートレックが浮世絵を好きだったのはよく知られているけれど、この展覧会みたく同時代のグラフィックアートを並列して一覧すると、浮世絵がこの時代にもたらした気分が分かりやすい。ボナールのポスター、スタンランの猫、アンリ・リヴィエールのエッフェル塔三十六景。
 たとえば、ロートレックのミューズのひとり、イヴェット・ギルベールは、実は、ロートレックに描かれるのをあまり喜んでいなかった、っていうと言いすぎかもしれないが、ジュール・シェレやスタンランに描いてもらう方が好きだったらしい。それも無理からぬ話で、写真で見ると、実際のイヴェット・ギルベールは、ロートレックの絵よりずっと美人。ジュール・シェレやスタンランは美人を美人に描いているのだし、彼らの絵の方がむしろ写実的だと言える。もちろん、ジュール・シェレやスタンランも写実を目指したわけではないだろう。たぶん、アルフォンス・ミュシャサラ・ベルナール(夢見るようなサラ)を描いたような描き方を写実的とはいわない。
 ただ、21世紀になっても、東洋の島国で、イヴェット・ギルベールとか、ジャヌ・アヴリルの名前に懐かしさを感じるとすれば、それはロートレックのとらえた一瞬の表情やしぐさにだろう。当時のパリっ子が愛した彼女らはきっとこうだったんだろうと、これといった根拠もなくそう思わせてくれる。それは、渓斎英泉の女たちがいかにも「おきゃん」に見えるのと同じなんだと思う。今回も展示されていた私の好きな絵に、ジャヌ・アヴリルが印刷所で版画の仕上がりをチェックしている絵がある。踊り子の彼女がそんなことをするはずもないので、これは「お見立て」というか、ロートレックの絵のキャラになっているのだ。
 ボナールはナビ派の仲間内でも「日本びいきのナビ」と言われていたが、その感じは油絵より、今回のようなポスターや版画にむしろ強く出ていると思う。

これはボナールの名を一躍世に知らしめたポスターなのだそうだ。ロートレックはこうしたボナールの後を追ったそうだ。

これは《小さな洗濯女》。こういったアンティミストといってもいい親密な画題とそれを描く都会的なセンスは、油彩の作品では後退しているように思う。油彩のボナールは徹底的にカラリストであり、色彩の「自由に呪われている」ように見えることもある。
 モーリス・ドニは最近どんどん好きになっている。

昔は、この中間色に充満した感じがよくわからなかった。今は、この親密な感じがたまらない。ドニは愛妻家だった。大人でなければ愛妻家にはなれない。
 撮影可のセクションがあった。

このユーモラスなカンカンの感じ。「真に文化的」と言われた19世紀のパリと浮世絵師たちの描いた江戸が共鳴し合っていた。