師走というわけでもなかろうけれど、このところ、仕事に追われている。
それで、観にいったけど、書き漏らしている展覧会について、ちょっと書く。といいつつもうすぐ日付が変わるわけで。
「ウインターズ・ボーン」を日比谷に観にいったついでに、出光美術館と三菱一号館を訪ねた。
出光美術館は、「長谷川等伯と狩野派」。
とにかく大画面を前にして墨を揮ったとき、長谷川等伯の右に出る人はいない。ただ、今回の展示に付された解説を読んで気づかされたのは、狩野派にかぎらないのかもしれないけれど、この時代の襖絵や障壁画は戦火で焼失したものも少なくない。
いま私たちが目にしているのは、奇跡的に残された遺品なのだ。
四百年という歳月を思うと、これらの絵の持っている力強さに改めて圧倒される。
それから、こないだの畠山美術館にもあった牧𧮾が2点。本国より日本での評価が高い。等伯にも、あきらかに構図をもした絵がある。日本好みというべき選択がそこここに働くのが不思議。
三菱一号館、「トゥールーズ・ロートレック展」。
出光美術館においてある地図みたいのを持っていくとちょっと値引きしてくれるはず。いつもうっかりして忘れる。
展覧会のチラシが、あんましよくなかったので、期待していなかったけど、やっぱりよかった。展示数も多かった。186点。
ロートレックというと、なんといっても、踊るジャヌ・アヴリルと、歌うイヴェット・ギルベール。
今回は、二人の写真も展示されていた。ご両人ともロートレックの絵よりずっと美女なのだ。
イヴェット・ギルベールは、ロートレックよりスタンランやジュール・シェレに描かれることを好んだそうだ。
だけど、美人が美人だということは、写真を見れば分かる。
ロートレックのデフォルメされたジャヌ・アヴリルには、こまっしゃくれた感じ、とか、ちょっと抜けた感じの愛嬌、とか、その人の仕草や癖まで伝わるような気がする。
ジャヌ・アヴリルは、晩年太って落ちぶれて、酒場を開くときに、ロートレックにメニューだったか、ポスターだったか、何か描いてもらったはずだ。
ところで、ロートレックの描く女性はなぜか杉村春子に似ている。メイ・ミルトンなんかとくにそっくりなんだけど、あれはデフォルメなんだろうけれど、ロートレックは現にああいう顔がタイプだったのかもしれない。というのは、<54号室の女船客>という絵は、船でたまたま乗り合わせて、あまりにも美人なので船を降り損ね、そのまま国境をこえてしまったというエピソード付きなのだけれど、これも杉村春子に似てる。
その翌日、渋谷で「不惑のアダージョ」を観たあと、新宿で「セガンティーニ」。
これは、原発事故の影響で開催が中止された展覧会のひとつなので、これをみないとなんとなく年が越せないような、ちょっと厄落としみたいなところもあった。
印象派のような色彩分割の技法なのだけれど、描かれたアルプスの空気感が、単なる技法を越えて画家に啓示するものがあったと見える。
一面の雪景色、<森からの帰途>の白の豊かな階調が美しい。
病で若くして亡くなっている。
明治通りのaudiフォーラムで、篠山紀信が東日本大震災を撮った「ATOKATA」も観た。
階下で誰かがaudiの高級車を購入契約していくのを観ながら、津波の傷跡を観ていた。