『日日是好日』

f:id:knockeye:20181013064043j:plain
 図らずも樹木希林追悼といった趣になった『日日是好日』を観た。
 黒木華の演じる女性が20歳のときにお茶を習うようになる。そのお茶の先生を演じているのが樹木希林。それから20年以上ずっとその先生のところに通い続けるって話。
 こういうクロニクル形式の映画は、あったかなかったか、ありそうでなさそうで、ちょっと今は思いつかない。舞台はほとんど樹木希林のお茶室に限定される。ときどき鎌倉の海岸とか、三渓園とか、主人公の住処なんかは出てくるのだけれど、かといって、お茶室だけに絞り込むみたいなチャレンジングなことをしていないところも鼻につかなくてかえって良い。
 たしかに、そういう描き方もなくはなかっただろう。習い始めた頃、就職するころ、男とごたごたする頃、をすべて茶会の会話だけで成立させるっていう、三谷幸喜好みなセリフ劇にしても成立するとは思うが、そういうミニマリズムはすこし息苦しくなるかもしれない。
 そもそもやってもないことを妄想して批判してもしょうがないんだが、井伏鱒二の『鞆ノ津茶会記』を思い出して、そういえばあれは、お茶席からだけ戦国時代を描いた面白い小説だったなと思って、小説だとそういう行き方もたしかにあったと思うが、映画だし。しかし、80年代から今までっていう時代の流れは、信長も秀吉も、利休も古田織部もいないものの、それはそれで、たしかにすごい変遷の時代だったなと感慨にふけった。
 お茶ってのは、今の私たちにとっては、日常的なものではないと思う。まあ、『へうげもの』のヒット以来「茶ガール」とか言って流行っているとは漏れ聞いているが、まだまだ非日常的なことだと思う。が、いったん中を覗いてみると、やってることは、日常以上に日常的。茶禅一味と言われる禅の修行もそういうところがある。
 そう思ってみて、不思議なところは、この映画はほとんど女性しか出てこない。千利休の頃は、お茶席に女性が入ることすらできなかったはずなのに、お茶が、いつのまにか、女性のサロンのようになっているのが面白かった。
 七代目尾形乾山を継いだという意味で、お茶と無関係とも言えないバーナード・リーチがどこかで書いていたことだが、日本にいて寂しく思うことは、女性と話ができないことなのだそうだ。これは、セクシュアル・インターコースとか恋愛とかではなく、ちょっとした知的会話ができない。
 もちろん、長いこと日本に暮らしているバーナード・リーチのことだから、日本女性に偏見があってこういうことを言うのではなく、成人男性と成人女性が会話を楽しめるそういう場が日本には欠けているってことを言ってるんだろう。日本での生活が長いバーナード・リーチだからこそ気がつく事だと思う。
 それは女性の立場に立ってみれば「抑圧」以外のなにものでもないわけで、少なくとも明治以降、お茶が果たしてきた役割は、女性たちにそういうコミュニケーションの場を提供するってことが大きかったのではないかと、改めて思った。この映画を見ていて、今はもう逆に、この場に男としての自分が闖入していく勇気はとても持てないと思った。
 すこし脱線するけれど、他の人があまり書かないだろうことを書いておくことにすると、水野年方という、月岡芳年の弟子で、鏑木清方の師匠という浮世絵師がいた。この人が、「茶の湯具艸」という続き物の浮世絵を描いている。その序に「茶の湯は禅より出でて礼学の一となり、貴賎となく嗜みて修むに至る。されば画家年方、茶の湯を学ぶ婦女子のための手引きとなるべき図絵を描き・・・云々」とある。年方は明治36年には亡くなっているので、遅くともその頃にはもう茶の湯は婦女子のものになっていたようだ。

 幕末の文人たちにとっては、茶といえば煎茶だった。田能村竹田が青木木米を描いた《木米喫茶図》

を見ると、煎茶用の涼炉が描かれている。上野の東京国立博物館で青木木米作の涼炉と土瓶を観たことがある。あれだったのかもしれない。

 ところが、明治39年に、岡倉天心が英語で『茶の本』を書いた、その茶に煎茶が含まれていたかどうか。江戸の文化を支えた文人のネットワークが、明治維新で消滅してしまう。それがなぜか、お茶、お花、お琴、など、女性たちを担い手として復活したのがどうにも不思議だ。
 それはともかく、ただただお茶の稽古をしているだけの映画を成立させているのは、樹木希林黒木華のたたずまいである。普通のことを言っているだけのセリフなのに、どうしてこう人となりを感じさせるのかっていう。桃井かおり松岡茉優ならどうなったかとか、風吹ジュン綾瀬はるかならどうかとか、あれこれ、これまたありもしないことを妄想しても楽しめる。
 それにしても、日本映画は低予算が得意。「侘びた風情」という意味で、お茶の世界に通じるのかもしれない。
 ちなみに、根津美術館のお茶の展示室は、もう名残の茶になっていた。瓢型の振出という陶器がなんともステキだった。あの展示室だけでも写真を撮らせてもらえないものかなと思うが不粋だろうか。