ナタリー・ポートマンが「defund the police」について

 ナタリー・ポートマンが「defund the police(警察の予算削減)」についてインスタグラムに投稿したそうだ。
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 「defund the police」が有効なのかどうか、というより、そのディテールが、それを言っている当事者たちのあいだでもはっきりしているのかどうか、確信が持てない。警察にカネが余っているから黒人を殺すってわけでもないでしょう?。
 個人的にはむしろ、「disarm the police(警察の武装解除)」の方がまだしも現実的なように思えますけど、どうだろうか。
 最終的には賛同しているナタリー・ポートマンも「defund the police」と聞いた瞬間は不安に思ったそうだ。ジョージ・フロイドさんの事件を受けて、警察を改革しなければならないと思っていたとしても、デモの最中に総論から各論へ誘導するのは強引にすぎると思う。異論を持つ人もいるだろうし、それに「defund the police」の中身が曖昧すぎる。こういうところから運動が分裂していくんだろうな。
 ナタリー・ポートマンのいう「警察に安心感を抱くのは白人の特権」で、「黒人にとってはそれは逆に恐怖でしかない」というのは、ジョージ・フロイドさんが殺されるのとほとんど同じ頃に話題になっていた下のニュースなんかを見るとよくわかる。

 セントラル・パークでバードウォッチをしていた黒人男性が、犬をつないでいなかった白人女性に、そのエリアでは禁止されているからリードを付けてくださいとお願いしているのだけれど、白人女性は逆ギレして(この「逆ギレ」ということばは松本人志が作ったんだけど、今となってはこの状態をそれまで何と言って表現していたのか思い出せないくらい)、警察にウソの通報をしている。
 この黒人男性がジョージ・フロイドになっていた可能性もあったと思うと、黒人男性の置かれている立場がわかる。
 つくづくインターネットとスマホが普及してよかったと思う。それ以前なら、この黒人男性はどうなっていたんだろうか。

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奇妙な果実

 ビリー・ホリディが「奇妙な果実」に歌ったこういう光景が普通だった国で、この「普通な(偉大な?)状態」に戻りたいと思っている人が警察官のなかにも少なからずいることだろう。それはたぶん、ウーバーイーツの配達員に強姦魔がいる確率よりはるかに高いんじゃないかと思うのだけれどどうだろうか。
 ウーバーイーツなら使わなければいいだけだが、警察官は呼ばなくてもくる。ジェームズ・ボールドウィンが言ったように、アメリカで黒人でいることはいつ殺されるかわからないとおびえていなければならないことなのである。
 私たちも白人ではないってことを思い出すとぞっとする。しかし、私たち日本人は立場が変われば、ジョージ・フロイドであったかもしれないし、デレク・ショーヴィンであったかもしれない。ユダヤ人のナタリー・ポートマンもそう思うのかもしれない。
 この問題は、だから、人種や民族の問題ではなく、人間の問題だと考えるべきだ。対立の問題にすり替えるべきではない。デレク・ショーヴィンという下劣な警察官がいたからといって、警察対黒人社会という対立に問題を変えていくべきではないと思う。「defund the police」にはそういう危うさが感じられる。