パシェ兄弟の音響彫刻

 川崎市岡本太郎美術館で「音と造形のレゾナンス-バシェ音響彫刻と岡本太郎の共振」。
 これは『レ・ミゼラブル』を観た映画館でたまたまチラシを見かけたので。その時点では、他の美術館はまだどこも開いていなかった。
 いまさらで何だけれども、美術館は自粛する必要があったのかどうか。すくなくとも「3密」のうちの「密集」している美術展はさほど多くないのだし、事前に入場者数を限定するかたちでチケットを売れば、自粛期間中も問題なく開けたのではないかと思う。

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マスクをした岡本太郎

ホントはこんな風に、音を奏でているところを見たかった。

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川上フォーン

 武満徹の作曲したこんな本格的な作品も、もちろんいいのだけれど、映像を見ると、公園のような公共の場に設置して、子供たちが気楽にさわって音を出せるようにしたものがどちらかといえば、この作家の発想の根であるように思った。
 
 1970年の大阪万博に出展していたそうだ。その頃のパブリックアートという発想は、アートのマーケットが巨大になったために、ちょっとどこかに隠れてしまった感がある。でも、公共の芸術って方向は、1970年で放置されてしまったかに見えるほど、未開拓な分野であるだけ、このコロナ禍以降に、何らかの発展を見せてくれるかもしれない。

 太陽の塔の成立過程が展示されていた。太陽の塔もそうだが、岡本太郎は絵よりも造形作品の方が魅力的に思った。
 ピエール・スーラージュという絵描きさんが言っていたことには、何か対象を描く絵という意味での具象画は、絵の枠に囲まれた平面の向こう側、奥行きに空間を想定している。これに対して、スーラージュの描くような抽象画は絵の平面のこちら側にしか存在しない。
 ピカソキュビズムを抽象画といっても確かに間違いではないのだが、しかし、ピカソはかならず何か対象を描いている。泣く女だったり静物だったりする何かのモチーフを描いているとという意味では、平面の奥行きに空間を想定している。
 そのピカソに心酔している岡本太郎の絵もまた絵の平面の向こう側、奥行きにへこんでいる。

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岡本太郎 ≪燃える人≫ 1955

 これに対して造形作品は、絵の枠をとびだして世界に参加
している。

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岡本太郎 ≪祭り≫

 世界を切り取るのではなく、世界に何かを加算している。たぶん、そのことの方が岡本太郎の資質に会っているのだろうと思った。

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若い時計台≫ 1966

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≪未来を拓く≫