「black lives matter」「no justice,no peace」というシュプレヒコールが世界中に広がっている。
アメリカだけでなく、イギリスやドイツにも抗議活動が広がっている。ここで人々が叫んでいる「black lives matter」は、ダレン・シールズという人が始めた。
マイケル・ブラウンという黒人の少年が、白人の警察官に射殺されたのをきっかけに始めた運動だった。
ダレン・シールズは、その2年後、焼けた車の中で発見された。被弾した痕もあったそうだ。ということは、撃たれて殺されたのではなく、撃たれたあと車に閉じ込められて火をつけられたと聞こえる。
その半年後には、KKKの最高指導者がぼこぼこに殴られた後、頭を撃ち抜かれて川に捨てられていたそうだ。
分断ってこういう事なんだろうなと思う。
今回の抗議活動を伝える動画をみていても、抗議活動に賛同して膝をつく警察官もいる、一方で、カメラの前で平気でカメラマンを殴る警察官もいる。黒人のCNNのレポーターを、カメラが実況しているその前で逮捕する警察官もいる。
世界中にそれが配信されているとわかっていてやっているわけだから、彼らにとってはそれは「正義」なのである。そうなると、もう理解が及ばない。理解ができないからこそ分断なんだろう。われながら同じことを言い換えているだけだ。
マイケル・ブラウンを殺害した警察官はその後、裁判で無罪になった。
www.afpbb.com
その後も白人警官に殺される黒人は後を絶たない。
トランプ大統領は、「私たちにはひとつの素晴らしい法律がある」と言ったけれども、白人と黒人がひとつの同じ法律で裁かれているとはとうてい思えない。「no justice , no peace(正義が行われないなら大人しくしてない)」という戦い方をとる気持ちはよくわかる。
にもかかわらず、アトランタ市長のキーシャ・ランス・ボトムズの演説がやはり胸に響く。
「火を付けたり暴力をふるったりはただの暴力だ」という点ではトランプと同じことを言っているのだけれども、伝わってくるメッセージが180度ちがう。分断を煽ってる人と、分断を超えてよびかけようとしている人の違いだと思う。
ちなみにこういう映画もあった。これは、また別の警官に殺された別の黒人の映画だった。