中澤弘光

 東京国立近代美術館の常設展に中澤弘光の小さな特集があった。
 以前、横浜そごう美術館で回顧展を観たとき、いたく感動した《花下月影》があった。東京国立近代美術館は基本的に撮影が許可されているので、喜んで撮ったけれども、写真で再現が難しい。

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中澤弘光《花下月影》

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 こういうただただ耽美的な絵が描かれた、そのわずか20年後に国が壊滅してしまうのだからおそろしい。日本人は第二次世界大戦についての反省が足らない、みたいなことを聞くことがあるけど、反省より何より、軍部に対する憎しみが足らないのに驚いてしまう。この絵を見るといつもそっちの方に頭が動いてしまう。
 ところで、あやしい絵展に展示されていた

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青木繁《大穴牟知命》1907

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は、「なんで撮影不可なんだろう?。この前はよかったのに」と思ったら、この絵はこないだアーティゾン美術館で観たんだった。アーティゾン美術館では撮影可だったのだけれども、東京国立近代美術館では撮らないでってことらしい。どっちも元は石橋正二郎のコレクションですけどね。
「『古事記』の一場面です。大穴牟知命大国主命の別名。大穴牟知は兄たちに謀られて焼け死に、それを悲しんだ母の願いを聞き入れた神産巣日神が蚶貝比売と蛤貝比売を遣わします。蚶貝比売が貝殻を削った粉に、蛤貝比売が乳汁を混ぜ合わせ、それを大穴牟知の体に塗りつけると蘇生しました。彼はその後数々の苦難を乗り越えて地上の支配者となります。手前に横たわる裸身の大穴牟知、左に蚶貝比売、右が乳房をつかむ蛤貝比売です。蛤貝比売がこちらを見つめる眼差しが、神話の世界と私たちをつなぐ強い絆になっています。」
というのがアーティゾン美術館の説明
 でも、蛤貝比売がカメラ目線なのはおかしいよね。肖像画ならモデルが画家を見るのは当然だけど、この絵では画家は絵の世界に存在しない「てい」なはず。つまり、この絵は、これは古事記のコスプレ(古い言葉で言えば「お見立て」)ですよってことを隠すつもりもない。
 東京国立近代美術館には原田直次郎が油彩で龍に乗る観音菩薩を描いた《騎龍観音》がある。

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原田直次郎《騎龍観音》

 観音のモデルにしちゃ不細工だなって感想しか持てません。「龍をリアルに描きました」って、それ自体矛盾してますから。これと雪村の《呂洞賓図》と比べてみ。

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雪村《呂洞賓図》

 問題は、龍や観音を油彩で描くことではなく、龍や観音が死んでいることだ。牛の頭に鹿の角・・・などとパーツを寄せ集めても龍にならない。人間が目だけ半眼をまねても観音にならない。
 横山大観の《無我》についても、あれの何が「無我」なの?。明治のキッチュがここに現れていると思う。自分たちの文化的背景を完全に見失っている。たぶん、当時の人たち(すべてではないにしても)にとって、雪村の龍より原田直次郎の龍の方がよく見えたのだろう。
 甲斐庄楠音の女たちは生きている。色街の女たちを近代の目で(つまり自分たちの目で)捉え直している。これは西洋絵画との出会いを経た後の正常な、しかも奇跡的な進化だったと思う。それに比べれば土田麦僊の絵なんてぬりえだ。
 中澤弘光にこんな絵があった。

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中澤弘光《おもいで》

 これが仏教的かといえばそんなことはない。ただ、このひとなりの何らかの感情が表現されている。ひらがなの「おもいで」であって漢字の「無我」ではない。ここにホントとウソの違いがある。
 小林古径の《清姫 日高川》も展示されていた。

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小林古径清姫 日高川

 小林古径は、中国の線描の仏画を模写する経験を経て朦朧体を捨てた。そもそも仏画自体が仏教に本質的なのかといえば違うと思う。しかしそこには表現としての真実はある。
 ドイツ留学を経て油彩で龍を描こうという原田直次郎には山っけしかない。といえば酷すぎるか。とにかく、西洋絵画との出会いの後、日本の画家がまた日本を描けるようになるまで悪戦苦闘したってことは確かにわかる。