『民主主義という病い』

 小林よしのりの『民主主義という病い』は、下にリンクしたYouTubeで、面白そうだったので読んでみた。現に面白かったのだけれども、下の動画を見ればわかるとおり、論理が混濁している箇所はある。
 小林よしのりが言いたいことはつまり、民主主義と国民国家は表裏一体で、国民国家意識のない国では民主主義は成立しない、という事のようだ。
 だから、戦後、アメリカに押し付けられた憲法のままで民主主義は実現できない、と言いたいみたい。
 現憲法を変えましょうと言いたいなら、どこをどう変えるか言えば、その方が話が早いはずだが、小林よしのりがここでそうしないのは、自分がネトウヨの親玉だと思われてる自覚があるからみたい。
 私はそうは思っていないが、しかし、そう思われても仕方ないとも思う。小林よしのりは、少なくともネトウヨにスタイルを授けた。
 たとえば、今回の民主主義には愛国心が必要だという主張にしても、「だから、民主主義の前に愛国心を育てよう!」という主張にに直結する。そうなればネトウヨよりネトウヨネトウヨでも呆れるトンデモ主張になるだろう。
 また、民主主義が万能ではない、なぜなら、日本を泥沼の戦争に導いたのは、むしろ、大衆だったからだ、と言いつつ、戦前の日本にも大正デモクラシーのような民主主義があったと言ってるのは、何が言いたいのか、戦前の日本人はバカだと言いたいのか、すばらしいと言いたいのか?。
 また、明治維新の混乱期に日本が列強の食い物にならなかったのはナショナリズムがあったからだと言いつつ、その後の軍国主義については「戦略を誤った」の1コマで済ましている。
 日本がまだ封建社会だった徳川時代ナショナリズムがあったので、列強に占領されずに済み、中央集権体制が確立した近代日本では、大衆がバカだったから国が滅んだは、主張として無茶苦茶すぎる。封建主義と中央集権体制のどちらがナショナリズムが強いのか、ナショナリズムを政治利用しているのはどちらなのかはいうまでもない。
 気持ちはわかる。要するに、どうしても戦後民主主義を批判したいために、論理に無理が生じている。わざわざフランスにまで飛んで取材しながら、民主主義が万能じゃないですよ、愛国心が悪ではないですよ、と言おうとしているのだけれども、結果として、ネトウヨ寸前になっている。
 このマンガで小林よしのりが「戦略を誤った」の1コマで済ませている軍部の暴走を、詳しく研究していけば、戦前の日本は素晴らしいですよ、という結論には絶対にならない。
 戦後民主主義を絶対視するのもバカげているけれども、その反発で、戦前の日本はすばらしかったと主張するのも、それ以上にバカげている。
 小林よしのりの本質にはどうしてもケンカしたいという欲求があって、その後ろにネトウヨがまとわりつくのだろう。
 今回のケンカのよりどころである、民主主義には国民国家の成立が必要なんだという主張にしても、そう単純に言い切れないと思う。
 たとえば、香港の場合はどうなるのか?。香港人という意識は、むしろ民主主義者という意識が先にあるように見える。小林よしのりの主張に沿うと香港は中国に率先して合併されるべきだということになる。
 また、イギリスの場合はどうなるのか?。イギリスは民主主義的な国だと思うが、四つの国からなる連邦国家なんで、この場合のナショナリズムとは何を指すのか?。
 民主主義が万能ではないのは全くそのとおりだと思う。が、その戦後民主主義者たちへの批判に加えるに、戦前の日本はすばらしかったんだみたいな事を言おうとするので、論理が破綻する。
 日露戦争直後に夏目漱石が「滅びるね」と言ってたんであって、その当時から、見る人が見れば「ダメだこりゃ」という状況だったんだし、何も戦後民主主義を批判するのに、戦前の日本を褒めそやす必要はない。戦前も戦後もダメダメなのだ。
 特に、世界の五大国と言われた時代からあっという間に国を滅ぼした軍国主義の時代を「戦略を誤った」の一コマで片付けてては、それこそ誤ちを繰り返すだけだろう。
 もしかすると、戦後民主主義者と小林よしのりはデマゴギックという点で互いによく似ていて、それで反発し合うのかもしれない。
 ただ、このマンガ自体は矛盾を抱えながら、民主主義の歴史を振り返った労作に違いなく読む価値はある。ネトウヨの生みの親と思われてるのはそうとう堪えているみたい。否定できない一面はあると思いますけどね。


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