『長崎の郵便配達』

 『長崎の郵便配達』は、同じく第二次世界大戦を扱ったドキュメンタリーでも、昨日の『ファイナル・アカウント』とはかなり違う。元英空軍パイロットと長崎の被爆者の交流が軸になっているために、憎しみの感情が入りこんでいない。
 もちろん、チャーチルは米国が原爆開発に成功したと知っていたかもしれないし、日本軍はビルマで英軍兵士たちを虐待していたが、それがこの元英空軍パイロットと被爆者の交流に影を落とすことはなかった。
 そもそもこの映画が製作されるきっかけは、長崎の被爆者の谷口稜曄(すみてる)さんが、自分をモデルに書かれた小説『長崎の郵便配達』が再販できないだろうかと、人づてに川瀬美香監督に相談を持ちかけたことだった。
 川瀬美香監督は、再販の許可をもらうために、著者のピーター・タウンゼントの娘さんイザベル・タウンゼントを訪ねて、亡きお父さんの書斎でインタビューのカメラを回した。
 たぶんあの書斎はフランスにあるのだと思う。ピーター・タウンゼンは、マーガレット王女との恋愛が結末を迎えた後、ランドローバーで世界を旅して回った。イザベルさんは、その後結婚したフランス女性との間の子で、浦上天守堂の司教とはフランス語で話していた。
 ピーター・タウンゼントが長崎を訪ねて谷口さんと親交を結んだのは作家として成功した晩年、1978年のことで彼ももう68歳だった。本が出版されたのは1984年。その間、何度も長崎を訪ねた。その時のインタビューテープが残っていた。イザベルさんが父の書斎でみつけた。
 結局、このテープの存在が大きかったように思う。映画化の話が動き始め、イザベルさんが谷口さんを訪ねようとしていた矢先に、谷口さんが亡くなってしまう。彼女が訪ねるのは谷口さんの初盆の精霊流しということになった。 
 そんな具合にタイミングが重なって、映画がとてもパーソナルな、個人的な味わいになっている。この映画は、イザベルさんが自身のルーツを探す旅の記録であることもまたまちがいない。イザベルさんの個人史の器のなかに、谷口さんの被爆体験という惨劇が入っている。だからこそ、観客がそれをすんなりと受け取れる。国家の罪とか、人類全体の罪とかまで思いを広げる必要はないのだ。
 イザベルさんのそういう素直な道徳観は、浦上天守堂の司教と話していた時によく現れていたと思う。「マリア像が残ってよかったですね」と言っていた。そもそも小倉に落とすはずだった原爆が、たまたま上空が曇っていたために、長崎に変更され、仏教寺院や神道の祠だらけの日本の、よりによってキリスト教寺院の上に落ちたのはなぜかと問えば、答えは言うまでもなく、ただの偶然なのである。そこに何か意味を見出すこともできる。しかし、馬鹿げていた。
 結局、この映画はイザベルさんとお父さんの映画だし、さらには『長崎の郵便配達』という本は、谷口稜曄さんと二人のお子さんの物語なんだろう。
 川瀬美香監督は、当初、戦争や原爆についての映画は自分の手に余ると考えていたそうである。しかし、イザベルさんとお父さんの関係、そして、ピーターさんと谷口さんの交友が映画のテーマになって結局良かったように思う。その向こう側に地続きに戦争や原爆が見える気がする。谷口さんとピーターさんの背後だけでなく、私たちの背後にもそれが見える気がする。


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ナガサキの郵便配達

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