『共に生きる 書家金澤翔子』

 書家として生きているダウン症の女性のドキュメンタリー。金澤翔子のお母さんである金澤泰子は翔子が5歳の頃からひたすら文字を書かせたそうだ。
 泰子自身もともと書道に関わっていたに違いないけれど、書道教室も自宅でできるってことで、翔子が生まれた後に始めたということだった。
 その頃の動画はもちろん残っていないのだけれど、私の頭の中では他に人のいない部屋で、5歳の子の手をとってひたすら文字を書き続ける母子の姿が浮かんでくる。来る日も来る日も、一文字一文字、般若心経を写経したそうだ。
 文字、特に、漢字の力って不思議だと思う。ロシアを旅した時、名前を書かなければならなくなり、英語で書いてもしょうがないので漢字で書くと、それを見た係の人が「プラッシーボ」と言った。
 小学校に通い始めた翔子を見て、泰子は、翔子自身は楽しそうにしている、かわいそうと思っているのは見てるこっちの思い込みにすぎないと気づいたそうだ。
 何かの思いがあり、それを表に出すために何かの手段を取らざるえない時、人はいろんな手段をとることができる。字であったり、絵であったり、歌であったり。あるいは時には暴力であったりするかもしれない。というより、思いが形にできない時、それが暴力になるのかもしれない。
 5歳のダウン症の子供に書を書かせ続ける母の姿は、傍から見たら暴力的に見えたかもしれないと想像してしまう。映画のチラシにある「何度もふたりで死のうと思った」っていう辛さの部分は、今のふたりには垣間見えないのだけれど。
 ただ、5歳の頃の翔子が、母親が手をとって教えようとしているこれが、思いを伝える何かであり、そして、その母親の思いがまさにこの字に乗っているのだと、理解できたということだと思う。
 思いと表現を同時に手に入れた。泰子は、私が死んだ後もこの子が生きていけるようにしなからばならないと思い続けていたそうだ。翔子の書はダイレクトに思いであるしかないのだと思う。

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