須賀敦子 池澤夏樹 個人編集 日本文学全集 25


 須賀敦子は、イタリア語やフランス語の本を日本語に翻訳するだけでなく、もちろん、それだけでもすごいが、夏目漱石森鴎外谷崎潤一郎などの日本の小説をイタリア語訳して出版している。源氏物語を英訳したエドワード・サイデンスティッカーも、外国語の小説を母国語に翻訳するより、その逆ははるかに大変だと語っていた。
 須賀敦子の本は、マルグリット・ユルスナールやナタリア・ギンズブルグなどの翻訳も含めて、一時期ずいぶん読んだ気がしているが、彼女がミラノに住んでいた若いころ、だんなさんのペッピーノが運営して彼女自身も携わっていた、コルシア・デイ・セルヴィ書店とは何だったのか、じつのところ、はっきりとした像を結ばないでいる。
 「オリーヴ林のなかの家」のある会話に、「読んだとき、あ、これは自分が書きたかった小説だ、と思った」と、ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』にふれている。「無名の家族ひとりひとりが、小説ぶらないままで、虚構化されている」。
 その評は、須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』にも通ずると思うのだけれど、ただ、『ある家族の会話』が、ユダヤ人家族をとおして、ファシズムが跋扈した時代のイタリアを描き出す、その骨格が、須賀敦子が描くコルシア・デイ・セルヴィ書店は、後に彼女の友人になる、ダヴィデ・マリア・トゥロルドとカミッロ・デ・ピアツが戦争末期にはじめたレジスタンスにその起点があるという意味で、『ある家族の会話』に直結する背景をもっているはずなのに、須賀敦子の作品の、そういう骨格はあやふやな印象だとずっと感じている。
 それが欠点だと思っているわけではない。それよりも、登場する人々がこれほど魅力的なのに、コルシア書店の活動が全体として見えてこないのは何故なんだろうと不思議だった。
 でも、このアンソロジーにある「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」のなかに、ナタリア・ギンズブルグが最晩年に書いた『セレーナ・クルスについての本当の話』が、それまでのナタリアの本と違い、「社会参加の本」であることに動揺しているのを読んで、ちょっとうっすらとわかりかけた気がした。
 「社会参加の本」といっても何のことかわからないと思うが、この本を読んだ須賀敦子は「友人の修道士が、宗教家にとってこわい誘惑のひとつは、社会にとってすぐに有益な人間になりたいとする欲望だといっていたのを」思い出したと書いている。浄土真宗にはこういうことに近い考え方があって、それは「小乗の慈悲、大乗の慈悲」という。
 しかし、ナタリア・ギンズブルグは、そのときすでに75歳でもあり、著名な作家である一方で上院議員であることを考えると、そういう小さな出版で世論に訴えようとしたことは、理解できない態度とまで言えないと思うのだが、須賀敦子は、「それでも、と私は思った、どうして、それを文学のなかで捉えてくれなかったのか。」と書いて、「しばらくは、ナタリア・ギンズブルグに、会わないほうがいいのかもしれない。」と結ぶ。この、文学にどんなプロパガンダも紛れ込ませまいとする徹底的なストイシズムが、須賀敦子ミラノまで運んだと思うし、その一方で、コルシア書店の仲間たちをいきいきと描き出しても、彼らの活動を、かりそめの総括でくくって見せることもさせなかったのではないかと思う。
 もうひとつには、詩の理解の深さにも感嘆した。具体的にはウンベルト・サバについての一連の文章であるが、うっかりと読んでいると、須賀敦子ウンベルト・サバって詩人がが好きだったんですねっていうだけのことに思える。しかし、須賀敦子の場合はペトラルカの詩をラテン語で読んで「・・・判った時には、ああ、これは駄目だ、とても訳せないし、太刀打ちはできない。それでも、これが判ってよかった、生きているうちに判ってよかったと思って・・・」と。ほんものの教養で、ただのバイリンガルというのとは全く違う。ただ、「教養」と言ってかたずけてしまうのさえはばかられるくらいだが、それでも近頃の検索しさえすればすべてがわかるといった思考放棄の対極に、須賀敦子の本はあると思う。