脳内野球

家の前のノウゼンカズラが咲いた。去年は、冷夏で過ごしやすかったが、今年のカラ梅雨もなかなか過ごしやすい。去年、日本海に架かる虹の写真を撮ったのも今頃だったか。暑さにうだる盛夏よりも、予感に満ちた夏の始まり。このころの季節か好きだ。とは言え、多くの予感は、裏切られ、潮が満ちてくると、苦みがまじる。私自身の朱夏は過ぎてしまった。

このところ、野球について書いている。特に、野球が好きというわけでもないのに、この問題が引っかかってくるには、それなりの意味がありそうだ。


ライブドアバファローズを買ってもいいと申し出た。本来なら、これはさしのべられた救いの手であり、渡りに船の申し出になっていいはずだった。ところが、ここにナベツネという老人がいて、「金の問題じゃない」(明らかに金の問題だったはずだが)「オーナー会議の賛成が必要だ」(つまり‘彼自身の’賛成が必要と言うことだが)といいだして、事実上実現が困難になった。


これは、つまり、今世間で話題になっている「プロ野球1リーグ制」というのは、ナベツネ自身の構想である可能性が高いということだ。もし、1リーグ制になるとすれば、11球団のままでは、半端なわけだから、もう一つ、どこかで合併が画策されていると言うことになる。今後の成り行きには注目している。


今度のことで、はっきり分かってしまったのは、読売巨人軍というプロ野球チームは、事実において、ナベツネという老人の頭の中身そのものだと言うこと。彼がプロ野球界全体を牛耳っており、それを妨げるものがないとしたら、プロ野球界全体が彼の妄想の写し鏡以外ではありえない。妄想といって悪ければ、構想だが、構想にはもう少し、規範が必要である気がする。今のところ、彼の考えには理念らしきものが見えない。簡単に言うとやりたい放題にしか見えない。


こういう「やりたい放題」に憧れる人たちも、きっといるのだろう。私がもし古くからの巨人ファンだったとしたら、たぶん、江川問題あたりで、(古いな!)嫌気がさしているだろうし、遅くとも、原解任、小久保強奪あたりでは、プロ野球そのものが嫌いになっていると思う。それでも、ひとつだけ認めざるを得ないのは、このナベツネという老人が、「勝ち組」であるという事実だ。世間を納得させられるような、これといった理念もなく、自分の行動を縛るこれといった倫理もなく、頭に浮かんだ妄想をそのまま実現できる。


今でも、プロ野球ファンの大部分は巨人ファンらしい。読売巨人軍が、ナベツネという老人の妄想そのものだとしたら、意識するしないにかかわらず、巨人ファンは、結局ナベツネという老人の大ファンということだ。勝ち組になることを望むのは、ある意味当然かも知れない。見た目は醜怪な老人に過ぎないが、彼ほどの成功者もいないわけだから。


それでも、私は、巨人軍に戦いを挑んで二度にわたって、勝ちを収めた星野仙一の方がかっこいいと思う。大人の意見ではないと思うが。


そういえば、オリンピックは、やっぱり長嶋監督で行くらしい。アテネのスタジアム建築に加えて、彼の復帰。果たして間に合うのか?