『人生は五十一から』 小林信彦

先日たまたま読んだ『読書中毒』以来、また小林信彦さんにハマってしまっている。今までも、食べ物屋なんかで週刊文春があると、必ず目を通してきたコラムを文庫でまとめて読んだ。
『人生は五十一から』①

人生は五十一から (文春文庫)

これは、1998年の連載分。

1998年は、私が初めてネットにつながった年である。この年に、『天才伝説 横山やすし』が書かれていると言うことだから、私が何となく小林信彦から遠ざかったのもこのあたりということか?

私の中で、小林信彦の20世紀型から21世紀型への移行が、このエッセーでようやく完了した気持ちだ。80年代、小林信彦は、押しも押されもせぬ小林信彦だった。いま、2004年から、この本の1998年を振り返ると、氏がだんだん時代からずれていき、時代と距離を置いたところに、足場をきづいた感じが伺える。
伺えるっつっても、それは、「私の中の小林信彦が」であるに過ぎない。実際の小林信彦という作家の価値は、私には計り知れない。でも、80年代のころは、こんなに江戸っ子ぽくしていなかったと思う。
あとがきにあるように、「横隠の生活と意見」であり、「小言幸兵衛」的な要素が多い。ただ、それが小林信彦であるから、ただの「横丁のご隠居」でないのはもちろんだ。たとえば「消えた黒澤フィルム」あたりのエピソードなど。

80年代は、『日本の喜劇人』の著者、小林信彦は当人が好まざるとも、スタンダードだった。ちょっと時代と距離を置いている今の発言の方が、むしろ肩の力が抜けて楽しく読める気がする。