無名の傘

knockeye2006-04-20

日本には大悪党がいない。
藤田嗣治の場合を考えても、当時の日本画壇全部ひっくるめたって藤田嗣治の存在より軽い。無名の傘に隠れている小悪党。たとえば、族議員天下り官僚、ときには、2ちゃんねらーであるかもしれないし、古くは軍部であったかもしれない。いずれにせよ、具体的に誰であるかは一切わからない。
これは、日本人の規範意識が、複数の人間が顔をあわせて初めて発生する類のものだからではないか。つまり、偶然に出会った他者との関係性の中にしか、規範が存在しない。そういう偶発的に発生する規範であればおかしな方向へ暴走しても不思議でない。規範に人格がないのだ。
こういうことを言うと、日本人に宗教がないとか、希薄だとかいう論議になりがちだが、真宗門徒のハシクレとしてはどうも納得できない。以前にも紹介した歎異抄のことば「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれは、ひとえに親鸞一人がためなり」、「よく考えると阿弥陀様は自分一人ために存在している」って、自己と絶対者のあいだに他者の入り込む隙はない。こういう風に日本人は仏と向かい合っていたはずだった。しかも、一時期は浄土真宗は日本最大の宗教団体でもあった。
いつのまにか変わっていたとしても別に驚くつもりはないけれど、日本人と宗教というときに国家神道しか念頭にない様なのが気持ちが悪い。そもそも宗教を国家の単位で論じること自体が宗教意識が低いのではないだろうか?
今朝はすごい雨風だった。わずかに残っていた桜もガクごと吹き飛ばされて、桜並木の下は濃い臙脂色に染まっていた。それが雨が上がるとあっという間に乾いていく。うかうかしていると夏になりそうだ。