村上隆と村上龍の対談を見直していたのだけれど、日本人は「マーケットのリアリティー」が分かっていない、というあたりが、致命的というか、村上隆に批判的か、好意的かの分岐点かと思う。
たとえば、パソコンを使っていない人は、パソコンやインターネットについて、偏見を持っているともいえるが、むしろ、見識が貧弱だというべきで、言い換えると「インターネットのリアリティー」をつかめていない。パソコンをバイクに言い換えることもできる。バイクに偏見を持っている人は、バイクのリアリティーを理解できないでいるのだ。パソコンもバイクも実際に使っている者からすると、電子レンジや洗濯機とさほど違わない。機能の5分の1も使いこなしていないと思うが、なんとなく使っているのだ。
藤田嗣治のおかっぱ頭も、腕時計のいれずみも、現代の視点からすると、すんなりとおしゃれと受け入れられると思う。今の日本には、そういうおしゃれのリアリティーがあるからだ。いまだに「なんだあの髪型は?日本の恥だ」みたいなことを言う人がいるだろうか?そういう人がいたら、今ならその人のほうに違和感を憶えるのが普通の人だろう。20世紀初頭のパリのリアリティーを、今の日本人は受け入れられる。
画家が自分の絵を売る。実に当たり前のことで、それに成功したからといって批判されるのは、たしかに日本に絵画マーケットのリアリティーがないということに尽きるのだろう。