さりながら

とはいうものの、と昨日の話しの続きなのだけれど、親鸞聖人には恵心尼という奥さんがいた。R18あたりか、新潟の広い道をうっかり走っていると、恵心尼ゆかりの土地にぶつかったりする。
法然上人は一生不犯の聖僧であったが、土佐に流される途中に遊女に請われて説教をし、その女性たちの真摯な態度に深い感銘を受けたといわれている。
シルクロードの高僧、鳩摩羅什も妻帯者だったというのには驚いた。
そんなことに驚いているほうが間違っている気もする。世の中男と女しかいないので、それから先は言うまでもない。旨いものを食って、いい酒を飲んで、いい女を抱いて、ついでには、ハッパなども嗜みつつ、ついにはそんなものに飽き飽きするくらいの豪のものしか出家してはいけないのかもしれない。
それはさておき、いま、直江津の風景を思い出している。直江津は、北海道に行くフェリーが出る港なので、ライダーにはなじみが深いだろうか。最近まで富山に住んでいたので、このあたりまでは行動範囲内であった。
しかし、今思い出しているのはそんな直江津ではない。わたしは、何を勘違いしてか、十代か二十代前半のころ、この町を訪ねたことがある。まだバイクにも乗っていなかった。国鉄(もうJRになってたかなぁ?)に、周遊券というのがあって、そのころはそんな旅が好きだった。
直江津の駅を降り、まっすぐ歩いていくと、道をふさいでいる高い板塀にぶつかった。けっこう粗いつくりでそこらじゅうに人が通れるくらいの隙間がある。何か知らむとくぐり抜けると、目の前に日本海の砂浜が広がっていた。海に向かって板塀を建てるという発想がなかったので、異界に迷い込んだような衝撃を受けた。暮れなずんでいく砂浜を歩いていると、そこに「親鸞聖人上陸の地」と書かれた木の杭がたっていた。それが昨日のことであったとしても、おかしくないような光景だった。
今、その浜は埋め立てられ、公園になっている。公園で犬を散歩させているおじさんと世間話に、その昔話をすると、「この公園ができて、わたしらは暮らしやすくなった」ということだった。
そうかもしれない。だが、不思議なのは、あの光景をこうして今でも思い出すことである。