サイダーハウス・ルール

こんなに雨が多い五月は確かに珍しい。富山に住んでいたころなら、もっといらいらさせられただろう。かの地では、すぐに雨の多い夏を迎えることになるはずだから。しかし、このところの暮らしぶりでは雨だからといって特に困ることもない。通勤で毎日バイクに乗っているので意識しないが、今年は確かに遠出をしなさすぎている。富山にいたころに比べて休みが自由にならないというせいもあるが、それよりも自分にとっては、まだここが「遠いところ」だからだろう。越してきてそろそろ一年になるが、ほんの買い物や外食だけでもけっこう刺激的。もともとそんなに大胆な冒険をもとめる質ではない。
雨なので、昼飯を食いにバイクに乗るまでもないと歩き出したが、気が向いてけっこう歩いてしまった。町は歩いてみないと分からない。この町を知るためには、ちょっと歩いてみないといけないだろう。山歩きは苦手だが、町を歩くのは苦にならない。山歩きに比べると街歩きは頭を使わなくて良い。
明日が出勤になったことは先日書いたから、今日はせっかくの休みが雨になったとぼやくべきところだが、今週はジョン・アービングの『サイダーハウス・ルール』を読みかけていたので、この週末はこれを読み終えるのに費やした。

サイダーハウス・ルール〈上〉 (文春文庫)

サイダーハウス・ルール〈上〉 (文春文庫)

サイダーハウス・ルール〈下〉 (文春文庫)

サイダーハウス・ルール〈下〉 (文春文庫)

ちなみに、この文庫の表紙は山本容子だった。昔読んだ『ホテルニューハンプシャー』と『ガープの世界』の表紙は、デビッド・ホックニーだった。こないだ読んだ山本容子の本によると、彼女の絵はホックニーに似ているといわれているそうだ。
サイダーハウス・ルール』は、かなり前に映画を観ている。正確に言うとビデオで観た。さっき富山にふれたせいか、それを観た魚津の部屋を思い出してしまった。いい映画だと思ったが、この原作がジョン・アービングだと知っていたかどうか記憶にない。それどころかシナリオを書いたのさえ彼であると知ったのは、多分かなり後だ。作家が自分の小説の映画化に際して自分でシナリオを書くなんて聞いたことがない。このことについては以前書いたような気がする。だからそのときに読んでも良かったはすだが、多分そのときにはまだ映画の印象が強かったのだ。映画は面白かったが、原作のほうが面白いに違いないと、ふと思ったのだ。
そのひとつの遠い原因のひとかけらは、津川雅彦の初監督映画『寝ずの番』の評判の良さにもある。吉村さんも良い評価をしていたし、大槻ケンヂもなかなか楽しめたと書いていた。中島らも(『寝ずの番』の原作者)と個人的に親交があった彼がそういうのだから、少しだけ信憑性がある。しかし、まぁ私はたぶん観ないだろう。中島らも桂吉朝も死んでしまった今となっては、その映画が評判がいいと聞くだけでうれしい。というより、聞くだけのほうがむしろうれしい。
吉朝が死んでから、上方落語に対する興味がほとんどなくなってしまった。今更にもかかわらずいうけれど、桂吉朝が一時期一線を退いたように見えたのは、天才特有のスランプだと思っていた。枝雀にもそういう時期があったし。まさか癌とは思わなかった。噺家と癌は私の貧弱な頭では結びつきにくかった。中島らものように酒に酔って階段を踏み外して死ぬ方がまだ腑に落ちる。癌で死んでくれては後に悔いがのこりすぎる。
最近テレビで桂雀三郎桂吉弥を見た。ところがこれがどういうわけか演しものはどちらも『崇徳院』。チャンネルが違うから文句も言えないが、理不尽ながらテレビの底の浅さを感じてしまった。ちかぢか大銀座落語ナントカがまたやるそうだが、今年は雀三郎は来ないようだ。実はGWに帰阪したおりに雀三郎を聴くチャンスもあった、物理的には。何しろ、彼はディープな大阪を活躍の場にしているので、わたしみたいに関西の辺境に住んでいると、二の足を踏んでしまう。深夜に帰宅する覚悟がつかなかった。
ジョン・アービングの原作は、映画より面白かった。映画には登場しない主要人物もいる。小説から映画への変更については
マイ・ムービー・ビジネス―映画の中のアーヴィング

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に詳しいそうだ。