- 作者: 村上隆
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2006/06/01
- メディア: 単行本
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書き上げるのに4年かかったとあるので、この題名はホリエモンなどのヒルズ族が脚光を浴びていたころにつけられたものだろう。内容はバブルとは関係がない。
あとがきに
わたしは芸術を生業とすることに誇りを感じており、後ろめたさ等、万分の一もなく、そしてその「マネー」=「金」こそが人間が超人として乗り越えるべき時にでも、へばりつく最後の業でもある、だから、故に、この業を克服していく方法こそが真の、現代において練り上げられるべき「芸術」の本体であると思っているのです。
ほかの章にはこうもある。
金額は評価の軸として最もわかりやすいものですよね。
万人にわかる評価基準をいやがる人は、
「誰にでもわかる数字で評価されると本当は価値がないことがバレてしまう」
と怖れているともいえるでしょう。作品の価格や価値を曖昧にしてきたからこそ、戦後の日本美術は悲惨な状況になったのです。
全面的に賛成とまではいわないが、たとえば、日本画の展覧会場を回っていて、時代が明治に入ると、とたんに作品の質が落ちる感じがする。何が伝えたいのかわからないようなのが増える。そういわれてみると、これは明治以降の作品が売ることを頭の隅に追いやってしまったせいかとも思える。あるいはマーケットが壊滅的打撃をうけたか。
現在の日本の美術界についてはこう書いている。
「勤め人の美術大学教授」が、「生活の心配のない学生」にものを教え続ける構造からは、モラトリアム期間を過ごし続けるタイプの自由しか生まれてこないのも当然でしょう。
エセ左翼的で現実離れしたファンタジックな芸術論を語りあうだけで死んでいける腐った楽園が、そこにはあります。
世界の美術史の文脈の中で、自分の作品とは何かをはっきり語れる作品でなければ、価値は認められないというのが彼の行動原理であるようだ。そして、その原理に基づいて徹底した自己管理をしている。そこはやはりすごいと思う。
しかし、この本は成功した画家の立志伝でも、回顧録でもない。現状に満足してしまっているわけではないのは、次のような文章からもうかがえる。
目的地を明確にしてルールに則った技術力で勝負を挑めば日本は欧米にも勝てますが、こちらが勝ちすぎるとルールは変化してゆくのです。
最近、画家の書いた本をよく読む。岡本太郎、山本容子、池田満寿夫、藤田嗣治。どれも面白かったが、この本が最も刺激的だったし、いろんな示唆を含んでいると思う。ことし読んだ本のなかでもかなりよい本だ。
関係ないけど、こんな面白いたとえ話もあった。
郵政民営化が焦点になった時の衆議院選挙があれだけ盛りあがったのは、「派閥」「改革」というような戦後の日本の政治の文脈につながるシナリオが、ものすごくわかりやすかったからだと思うのです。芸術もまったく同じです。文脈を勝手に読みとって消費するのがお客さんですから。