「FOUJITA」

knockeye2015-11-17

 文藝春秋の11月号に、野見山暁治藤田嗣治の思い出を書いた短い文章があった。戦時中、藤田邸に住み込んで手伝いをしていた女友達に、新聞に載った《アッツ島玉砕》を描きあげた時の写真を見て、わざわざ新聞記者やカメラマンを呼んで、「芝居がかってる」と憎まれ口を叩くと、わざわざ呼ばなくても、軍の報道関係がつめているし、モデルの兵隊もいる。集まった人たちの前で、一瞬、死者の顔が動いたという、「あれは本当です」と、真顔になったそうだ。
 上野の美術館に展示された《アッツ島玉砕》の前で、手を合わせるひとたちに、軍装に身をやつした藤田嗣治は、ひとりひとり丁寧に返礼していたという。出征の前に、その女友だちにお別れの挨拶に訪ねた野見山を、藤田嗣治は丁重にもてなしてくれ、「お国のために戦ってくださいと、ふかぶかと頭を下げた」そうだ。
 ところが、戦争が終わると、防空壕の中の戦争画を助手に引っ張りださせ、「これからは世界中の人に見せなければならないから」といって、サインを横文字に書き換えたそうだ。
 野見山暁治は、「不思議でならん」と書いているし、私も「なんと無邪気な」と思うけれど、しかし、ほんとうに無邪気で不思議なのは、私達の方なのかもしれないという気もする。
 藤田嗣治は、明治の日本を出てパリに渡り、必死の努力をして、画家として成功した。実のところ、藤田嗣治の物語はそれだけのことであり、それ以外の部分は、藤田のまわりの物語にすぎない。
 藤田嗣治戦争画を見て、「戦争協力だ」と言ったり、「いや、反戦だ」と言ったりする人達は、右だの左だのという、それこそ無邪気で不思議なお遊びに打ち興じているというにすぎないだろう。
 小栗康平の「FOUJITA」を観た。それで思った。私たちはFOUJITAについては、もうよく知っている。それでは、私たちは今さら、何を観に来たのか?。「あなたたちは、一体、何を観に来たの?」と問いかけるような映画だと思った。
 モンパルナスの狂乱について、驚くほど静かな映像で描いている。外国の画家たちが少々馬鹿騒ぎしようとも、パリは変わらない。そんな、エトランジェの心象風景を映し出しているかのようだった。
 そして、20年ぶりに帰ってきた日本も。藤田嗣治にとって、二つの祖国でありながら、二つの異国でもある、そのような不思議な違和感を、小栗康平はとらえて映像化しているとおもう。緊張感を保ったまま、映画を引っ張っていく術に長けている。
 最後から二番目に出てくる絵は、歌川広重の《王子装束ゑのき大晦日の狐火》だ。あれは、モンパルナスの「FOUJITAデー」のパフォーマンスとつながってると思う。千枚田を歩くシーンは、パリのフジタを訪ねてくる画学生が口にする、老婆が手押し車を押して歩く、藤田の初期の、パリの風景を思い出させる。また、蚤の市で手に入れるドールハウスは、晩年、藤田自身が手作りしたものが残っていて、もしかしたら、それを使ったのかもしれない。他にも、観客が気がつかないような仕掛けがいろいろあるかもしれない。