美術館のはしご

knockeye2007-09-09

モスラの精神史 (講談社現代新書)

モスラの精神史 (講談社現代新書)

今日は一日中美術館のはしごをするぞっ、と意気込んで家を出た。美術館はどうせ10時開館なので、苦手な早起きの必要もない。前の住居と違うのは、バスなのである。まずはこの出だしで熱射病にならないようにここで時刻表を確認した。出だしは好調である。
美術館のはしごはコース設定が勘所。最近はなぜかコンビニでぴあが売り切れていることが多いので、美術館のサイトをブックマークに網羅することにした。その中から行きたい展覧会を選び、さらに一日で回れるルートを策定する。
ルートを作るときに利用するのは駅探である。正直、これがなかったら首都圏の鉄道網にはついていけない。
今回の予定は、まず海老名から相鉄で横浜、JRで東京にでる。ブリジストン美術館ギャラリー・ショウ三井記念美術館、この三つは八重洲口にかたまっている。ほいで、山手線で目黒、目黒区美術館。また山手線で新宿、東郷青児美術館。帰りは小田急で海老名、というプランであった。この時点でこのプランの欠陥を指摘できたとしても、別にえらくない。私が不注意だっただけである。いつものことで。
青木繁の「海の幸」は、音に聞こえた名画であるが、「夭折の天才」というイメージが大きいのだろう。豊かな海のめぐみを獲て朝早く岸に帰ってきた漁師たちの姿は、国がまだ若かったころへの郷愁をはらみやすい。常設展示にマティスやモネやコローやと並べられると、そりゃつらいのである。
そういう意味では、レナール・フジタの絵は力強い。現に世界基準で闘っている人の力量はやはり違う。佐伯祐三の絵もあった。佐伯祐三のパリ時代は、フジタのそれと重なるらしいが、この二人には全く接点がなかったそうだ。わたくし思うに、パリに行って絵を描こうというときに、まずフジタのもとに足を運んでいるようでは、そりゃ大したものになるはずがないわな。近藤史人の本によると、フジタの家に寄食するだけでは飽き足らず、食器の片づけまでやらせてたというのだからあきれてしまう。そのくせ、戦争が終ったら戦争責任を全部負わせようというのは、どういう根性なんだろうか。
佐伯祐三ヴラマンクの影響を受けている。フォービズムというくくりになるのであろうか。ビュッフェもそうだと思うが、キャンバスの上で筆の動きが早い人が私は好きみたい。ヴラマンクはいつかまとめて見てみたい。というのは、いいなぁと思うときと、そうでもないなぁと思うときとけっこうばらつきがあるので、どんな人だったんだろうと興味がある。ブリジストン美術館にあるのは、そんなでもなかった。
古代の文物の中では、エトルリアの壷。わたくし、いまも美術館のHPを見ながら書いている。でないと、エトルリアかエルトリアかわからなくなるのだ。印象的な黒い膚の陶器に一様に横向きの人物線描。「エトルリアの壷」はメリメの短編の題名でもある。内容は忘れたけれど、それを読んだときからトとルがごっちゃになっている。それはまだいいほうで、ときには「エストニア」になってる。
さて、プランの破綻その1。ギャラリー・シヨウは日曜祝日閉廊だって。今回、この大人向け展覧会に期待していたので、実に残念だった。
三井記念美術館は、三越のとなり。ということはお江戸日本橋を越えていく。首都高を取っ払う話はどうなったろう。三越の入り口に釈由美子みたいな綺麗な人がスーツを着てたっていたのを見逃さなかった。見てないようで見てるのだ。日本橋三越となると違うのである。
こちらは「旅」をテーマにした日本美術の展示。中で面白かったのは、茶籠とか茶箱とかいわれる、携帯用のお茶道具。今に置き換えると、コッヘルとコーヒーバーネットですな。小ぶりな茶筅と二つになる茶匙、井戸の茶碗もぐいのみサイズで、これが愛着がわきそう。豪華な蒔絵の提げ重など見ていると、この道具を使いたいためにどこかに出かけるという旅だったと想像した。旅の楽しみも色々である。
期間中に展示替えがあったようで「富士曼荼羅図」は見られなかった。
応挙の「雪松図」はここの所蔵だそうだ。ああいう絵が誰かの持ち物だとは思いもよらないことなので、面食らってしまった。ショップに絵葉書があったので、しげしげ見ていたが、いまさら言うまでもなく、あれはやっぱり名品である。並んで竜の絵があるので「芳崖かな?」と手に取ると応挙、水仙の絵があり「御舟かな?」と思うとこれも応挙だった。
目黒は「目黒のさんま祭り」であるらしかった。子供たちのみこしが出ていた。目黒は東京でも日本橋とはかなり違う。釈由美子タイプはいそうもない。井上真央とかそんな感じになるのである。駅前からだらだらと坂を下り川を渡ると美術館だ。この道はなんとなく覚えていた。佐伯祐三展を何年か前に見に来た。そろそろ昼下がりになっていたが、快晴の空が高い。そろそろ秋になるらしかった。美術館の前は区民プールで家族連れが甲羅干しなどしていたけれど、どうももうすぐ秋らしかった。
「線のラビリンス」といって、要するに素描展で、大きな世界ではないけれど、惹かれるものがある。「うわーっ、細かいねぇ」とかいって楽しむ世界。誰でも描けるという物ではないが、誰も描けないというものでもない。最初のアイデアが凡庸だと徒労感が募る仕事である。
新宿に行く前にコーヒーを飲みながら、京ポンで確認していて気がついた。東郷青児美術館の「ベルト・モリゾ展」は15日からだ。
「休館:2007年9月3日(月)〜9月14日(金)
【特別展】美しき女性印象派画家
ベルト・モリゾ展」
で、その下に区切り線だもん。ややこしくない?たしかに、頭に「休館」って書いてあるけども。
しょうがないので、急遽プランを変更して上野毛五島美術館に向かったけれど、ここは時間切れでした。東郷青児美術館だとすこし閉館時間が遅いので、ここが味噌だったんだけどね。
帰りは仕方ないので、東急で中央林間までいき、それから小田急で帰りました。5つまわるつもりで3つしか回れない、ちょっと消化不良な日でしたけど、いい天気だったし、結構空いていたのがありがたかった。
移動中に『モスラの精神史』を読み終わった。