秋の牢獄、転々

knockeye2007-12-15

秋の牢獄

秋の牢獄

クシタニにエクスプローラーを取りに行く前に、途中で放り出している左のバーエンドキャップをつけた。部屋にもどると、寝たまま消せるようにぶら下げている電気の紐に、六角レンチが引っかかった。いろんなサイズがワッカにつながっているヤツで、根っこは針金をばね状に巻いてつなげてある。そのばねに紐が入ってしまっていた。
はずせないかとしばらく苦闘したが、めんどくさいのでハサミで切って、つなぐことにした。ジャック・バウアー的発想である。
ちょうどつなぎ終わったころに、宅配が磁石70個を持ってきた。今日届くのを忘れていたので、六角レンチが紐にひっかからなければ、すれ違っていたはず。とてもよい天気だし、ツイテいると考えることにした。
例によってちょいと道に迷った。サイズは31インチで正解。履いて帰ったが、エクスプローラーは暖かいわけではないことを発見した。往きに履いていった裏がボアのジーパンの方が暖かい。
関東の冬は晴れているので枯葉が舞う。帰りに寄り道した宗仲寺という浄土宗の寺の庭には辛夷のつぼみが綿毛をまとっていた。冬だなと思った。
恒川光太郎の三冊目。表題作を含めて短編が三作収められている。私は「神家没落」が一番好きか。でも、デビュー作の「夜市」「風の古道」の完成度が高かったせいで、あれを越えるのはなかなか容易ではない。ただ、次の作品が出るときも、「今度こそあれを越えたか?」と期待してまた買うだろう。
気持ちよい天気だったので、ふだんならもっと道草を食うところだが、朝のうちにネットで映画の予約をしていたので、宗仲寺の道草も早めに切り上げた。
『転々』
三浦友和オダギリジョー、最近、注目している二人の主演なので、早くから目をつけていた。出演者の中に岩松了の名前を見つけたときは、更に期待が高まった。
最初、笑いのつぼをはずしているシーンがいくつかあって、(たぶん、三谷幸喜ならもっと笑わせたろうと思う。小ネタの処理ほどおろそかにしてはいけない。『小津の秋』みたいな恋愛ものでさえ小ネタではきっちり笑わせた。「自分しか分からないジョークを言って一人で笑っているのが真のユーモリストである」と、サマセット・モームも言っている。かも。)「大丈夫かこのままで」と心配したが、小泉今日子が登場してから、一気に話がしまった。テーマが絞り込めて、それまでばら撒いてきた伏線が生きてきた。岩松了ふせえり松重豊の三人組がサイコーに面白い。一言も台詞のない岸部一徳がいいところででてきて、上手い具合に物語をはぐらかす。この人も、「いつか読書する日」「フラガール」と、ほんとになくてはならない存在になっている。そういう人が、一言も台詞がなくて、しかも本人役で、最後に物語をアンチクライマックスにそらしてしまう。
小泉今日子は、40になってもいい女で、引いても寄ってもサマになっている。肉屋の前でオダギリジョーと並んでいる立ち姿とか、携帯で話しながら歩いているところとか、コビトカバのくだりも自然で、しかもおかしい。コメディエンヌの才がもともとあったのだと思う。岩松了たち三人組のシーンが光ってくるのも、本筋がしまってくるからだ。
考えようによっちゃ、あの三人組は「マクベス」の酔っ払いと魔女、両方の役割を果たしているともいえる。物語の最初から結末は宣言されているので、笑いながらも実はとても怖い話。その怖さと可笑しさの両方を、あの三人組の無自覚な行動が際立たせている。小泉今日子の存在は、そういう猛スピードで流れていく怖くておかしい物語の一瞬のパラレルワールドなのである。だから、あんなに美しいのだし、カレーライスが悲しいのである。