電車と本

ところで、鉄道はイギリスではじまる。鉄道旅行で大切なのはどうして暇をつぶすかといふことで、これは本を読むに限る。そこで本が売れるやうになり、・・・(略)

と、今読んでいる丸谷才一の本に書いてあった。ということは、電車で出かけるときには本を必携する私の態度は、鉄道の歴史からも、本の歴史からも、由緒正しい行為であるらしい。
昨日読み終わった本について書くのを忘れていた。
ひとつはグレアム・グリーンの『負けた者がみな貰う』。イギリスはまた賭博の国でもある。
年若い女との結婚を控えたさえない中年男が、雇用主の気まぐれな親切から、モンテ・カルロで挙式をしたのはいいが、上司が約束を忘れて身動きが取れなくなる。男は賭博でひとやま当てようとするのだが・・・という物語。
ハッピーエンドで終るが、現代のアメリカ人や日本人は、もしかしたらイギリス人も、これをハッピーエンドとは言わないかもしれない。ハッピーでないとは言わないが、あまりに中庸が保たれ、抑制が効いている。これが書かれた1955年当時より、人は幸せに鈍感になっているかもしれない。現代人の幸福は、かならず仮想敵の不幸が含まれている。それがないと物足りない気がしないだろうか。
もう一冊は有川浩の『阪急電車』。
阪急電車今津線の、沿線ではなく、車内を舞台にした、史上初の電車小説。入れ替わり立ち代り、さまざまな人が乗ってくるが、どうも登場人物の性格がどれも似通っている気がしてしまった。
関西の人ならわかるだろうが、「阪急電車」だからこれでいいが、JR環状線とか、阪神電車なら、こうはいかないはずである。宝塚駅の乗客と天王寺駅の乗客とでは、おのずと違うというものだ。私としては、この作者に、つぎは環状線を舞台にして、この小説のセルフパロディーを書いてもらいたい。多分そのほうが面白そう。
最初の章で、武庫川の中洲に石で書かれた「生」の字には、O・ヘンリー的な仕掛けがあるのかと思っていたら違った。せっかく西宮北口で折り返したのだから、そういうフリとオチは欲しいものだった。