三月は深き紅の淵を

三月は深き紅の淵を (講談社文庫)

三月は深き紅の淵を (講談社文庫)

寺山修司が「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったころ、町には何があったのだろう。少なくともいま、町なんかには何にもないように見える。私はむしろ町へ出るときに本を携えていく。
多分、そのころは、本の世界がずいぶん狭苦しかったのではないか。たしかに狭っ苦しい本というのも存在しそうだけれど、そういうのは読まなければいい。
恩田陸の本はそういうものの対極にあるだろう。恩田陸の世界へ出かけて見ようか、とか、そういう心持で本を手に取れる作家である。
『三月は深き紅の淵を』そもそも題名からしていい。そして、この本はその題名の本についての本なのである。
その本についての本を読むということは、本の中の登場人物がその本を読者より先に読んでいることになる。読み終わったときにようやくプロローグに戻る。
それぞれに独立する四部からなっているが、私は第二部が好みだ。一番推理小説っぽいからかな。その登場人物のこんな台詞、
「・・・今でも人間が小説を書いてることが信じられない時があるもんね。どこかに小説のなる木なんかがあって、みんなそこからむしりとってきてるんじゃないかって思うよ。・・・」
小川洋子も似たようなことを言っていた気がする。物語はどこかの洞窟にすでに彫られていて作家はそれを写してくるだけだとか。
その方が、鼻先に作家の私生活をぶら下げられるより、読者としては楽しい。