忘れえぬロシア

knockeye2009-04-14

日曜日は渋谷で「雪の下の炎」を見たあと、ついでだったのでBunkamuraミュージアムに足を向けた。
いつもそんな遅く来たことがないので意識していなかったのだけれど、多分普通の美術館よりは閉館時間が遅かろうと思って。
現在開催中の展覧会は
「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア」
多くの人にとっては、どちらかというと地味な内容だろうけれど、私自身にとっては文字通り「忘れえぬ」ロシアなのだし、お義理にのぞいてみたってバチはあたるまいということなのであった。
そもそもの計画では、私のロシアツーリングのラストは、エルミタージュ美術館で一週間ほど絵に浸りきろうということであった。クラスノヤルスクでエンジンが壊れて、それどころではなくなったのだけれど。
ロシアの画家といわれて、まず思い浮かぶのは、シャガールカンディンスキーだろう。ともに世界的に著名な画家だが、二人ともロシアの国外で活躍していた画家。ロシア国内の画壇ということになると皆目見当がつかない。今回の展覧会はそんなロシア国内で活躍してきた画家の展覧会なので、誰一人知っている画家がいなかった。
ロシア絵画といっても、大きな特徴があるわけではないようで、ドイツロマン派のようでもあり、印象派のようでもあり、ラファエロ前派のようでもあり、その点、明治以降の日本の絵とよく似ている。
レナール・フジタは誰が見てもレナール・フジタ、シャガールカンディンスキーも個性がはっきりとしている。これは彼らが故郷を離れ、パリで競い合っていたからこそなのだろう。もし、彼らが故郷にとどまっていたら、オリジナリティーのための切実な努力は必要なかったのかもしれない。

今回、印象に残った画家をあげれば、チケットに使われている「見知らぬ女」の画家、イワン・クラムスコイは、ドラマティックな肖像画ラファエロ前派風、というか、ジョン・エヴァレットミレイを思い出させる。イワン・シーシキンの風景画が今回一番気に入ったかもしれないけれど、ジョン・エヴァレットミレイの晩年の風景画のようでもあり、コローのようでもある。写実に徹しながらも叙情をたたえている。イサーク・レヴィタンは、ほとんどモネのような印象派の風景画家。
ニコライ・ゲーの「文豪トルストイの肖像」ももちろん印象に残っているけれど、それは、モデルの力ですよね。
個人的には、「秋のオカ河」というワシーリー・ポレーノフの絵を見て、思わずうなってしまった。
オカ河!
とにかく、言葉の分からない国の知らない町を、夜に宿を探して、バイクで走り回るくらい消耗することはない。これが幹線道路沿いとかなら、まだ、とにかく前進しているのが分かるのでよいのだけれど、街中に入ってどつぼにはまると、迷路と同じでひとつところを行ったりきたりしているような気になる、し、現に同じところを何度も通過するのだ。ニジニ・ノブゴロドの夜の街をガスチニーツァ・オカを捜して私はうろうろとさまよい走った。
オカ河に架かる橋を何度も渡ったと思う。ガスチーニツァ・オカは見えているのに、どうしても辿りつかない。とうとう路面電車のレールで滑って転倒してしまった。いくらヘタな私でも、ふだんならその程度でこけないのだけれど、あの時はもう足の踏ん張りが利かなくなっていた。道を聞きに入った店に、流しの花売りをしているおじさんがいたのを、なんか憶えている。
ちなみに、ロシアの自動車メーカー「ラダ」の車には、ロシアの河の名前が付けられていて「オカ」は「アルト」そっくりの小さな車だった。