タマラ・ド・レンピッカ

knockeye2010-05-09

今年は、3月が特異的に忙しかったのと、毎年のことだが、4月は桜めぐりに費やしてしまうのとで、危うく見逃しかけてしまった展覧会、タマラ・ド・レンピッカ展に、最終日ぎりぎりの昨日、見に行くことができた。
アール・デコを代表する女流画家で通っているけれど、アール・デコは絵画にはそぐわない概念なので、その呼称を使うときは慎重に「」にいれて使うべきだともどこかに書いてあった。
アール・ヌーボーの画家といえば、私などはまずアルフォンス・ミュシャを思い出す、それと同じような意味で、タマラ・ド・レンピッカを「アール・デコの画家」というなら、それはそれでわかる気がする。
ミュシャの、植物のつるを思わせる優雅な曲線、奥行きのないフラットな面、淡い色彩。それとは対照的に、レンピッカの線は幾何学的で、面はキュビスムの洗礼を受けて円錐や円柱のような光沢があり、色は少ない種類に統一されたほぼ原色。

この絵は、今回のポスターにも使われている<緑の服の女>。モデルは彼女の娘キゼット(おそらくまだういういしい)。

この絵は彼女の愛人の一人をモデルにした<イーラ・Pの肖像>。
これらの思わず手を触れたくなる官能美は、ミュシャの優雅さよりはるかに私たちに馴染み深いものだろう。
今回はシルクスクリーンの展示だったが、1925年に描かれた彼女のもっとも有名な作品のひとつに<オートポートレート(緑のブガッティに乗るタマラ)>がある。

おそらく私やあなたのように、彼女も女への愛とクルマへの愛をどこかで地続きに感じていたのだと私は思う。
私たちの自己は私たち自身の持って生まれた肉体で完結していない。
服が私たちの自己の一部に取り込まれたのは、きっとはるか昔だろう。日本刀や茶碗はそれより時代が下る。同じように、クルマも、その普及とほとんど同時に、私たちの肉体の延長に取り込まれたのだろう。
ベルギー幻想美術館のフェリシアン・ロップスを観たときもそう感じたことだが、工業化が進み機械文明が発達すると、私たちの感覚は機械を肉体の延長に取り込み始める。そして、そのことで今度は自己の肉体を機械の一部と感じはじめてしまう。そこには、いやおうなく、それ以前の世代がうかがい知れない官能の世界が生まれる。千利休が茶碗を愛したように、私たちはクルマを愛する。そのことで美意識もまた変容する。
シャネルの最先端のファッションに身を包み、自分でクルマの運転席に座り、女たちを愛し、何よりも彼女自身が女性解放の輝かしきイコンになることは逃れがたい宿命だったように思う。そして彼女も進んでその役割を演じた。

これだけでなく、今回の展覧会には彼女のポートレートが多く展示されていた。
以前このブログにリンクした松井冬子の写真には、しばらくアクセスが集中したものだったが、この堂々たる演出はあの比ではない。
このような演出が彼女の絵の評価にどのような影を落としたとしても、何点かの鉛筆画の小品を見るかぎり、‘神に愛されている’人の一人なんだろうと思った。

シュジー・ソリドールを描いた裸婦画の横に、シュジー・ソリドール本人から贈られたとおぼしきセルフヌードの写真が展示されていた。タマラへのメッセージが書き込まれている。
女たちと時代に愛されたタマラ。40代近くなってうつ病に悩まされるようになり、宗教的なテーマを扱うようになる。私に言わせれば、明らかに神に愛されているのに、これ以上何を求めようというのか。しかし、ロシア革命で祖国を逃れた彼女は、レナール・フジタと同じようにエトランジェとしてパリに拒まれもしたのだろう。
世界恐慌後アメリカに渡るが、次第に忘れられた存在になる。その後、変遷した画風も悪くはないと思うけれど、それだけではきっと評価されなかっただろう。
1973年にパリで大規模な回顧展がひらかれ、再評価は彼女の死にじゅうぶん間に合った。死の床の画架には若い日愛し合った<美しきラファェラ>のセルフレプリカと、<聖アントニウス四世>の肖像がかけられていた。
いつも図録よりもポストカードを買うことが多いのだが、会計のときに気がついたらほとんど図録が買えるほどポストカードを買っていた。
今回ここにアップした画像は展覧会サイトのもの。他にも<母性>とか、有名なカメラマンに撮らせた彼女の写真など魅力的なのがいっぱいあるのだけれど、スキャナーが調子悪いので紹介できない。