「婚活」時代

knockeye2009-05-14

工業団地に吹き抜ける風と、字面はなんとなくうらぶれているが、それでも五月の風はここちよい。
風光る」は春の季語。旧暦ではまだ4月だ。
風を光らせているのは、背丈が伸び始めたチガヤやススキ。子供のころうっかり手を切って痛かった草の葉の名前はなんだったろうか。
往き帰りの道に桑の実が実っているのを見つけた。
鳥があわてて飛び立つ。
雀やメジロには少し大きすぎる実なので、たぶん、ムクドリとかヒヨドリとかそんな鳥たちが食べるのだろう。
もちろん人間が食べてもいいのだけれど、これくらいは鳥たちに残してやってもいいのではないかと思う。
最近は、ミツバチが就労拒否するようになってきているらしい。
蜂はその群れ全体が、真社会性をもつ超個体といわれることがあるが、その超個体をさらにシステムの一部として使役させようとする、人間という生き物はなんとも業が深い。
人間ははたして超個体かという問いは興味深い。
さまぁ〜ずとスマップの中居が結婚について話しているのをテレビで見た。中居と大竹は結婚に何の意味があるのか分からない。実は、私もわからない。日本人男性には繁殖しない個体が増えてきているのは確からしい。真社会性の定義のひとつを満たしつつある。
こういう文章がある。
「今でも、結婚したら収入の大部分は男性に頼ろうという従来型の意識をもつ女性がメジャーだということでしょう。男性自身にもその意識は高く、男女とも約七割がそう考えています。当然だと思われるかもしれませんが、欧米では一、二割にすぎませんから、日本特有な状況だといえるかもしれません」
男女平等という意識が高く、女性の権利を認めようとする男性の方が実は、女にとって結婚の相手とみなされないことになる。
さまぁ〜ずの二人にしても、自分で家事をこなせる大竹の方が結婚していない。
中居に
「結婚の何がいいんですか」
と聞かれて、三村が
「バスタオルが自動的にたたまれてる」
と、これはもちろん冗談なのだけれど、しかし、個人的な感情はぬきにして、日本社会が結婚という制度に対して付与できる肯定的価値は、実情この三村のギャグと大きくかわり映えしないのも事実である。
少し前に自民党の大臣が
「女は子どもを産む機械
と発言したことを憶えているだろうか。
私は長年、生産の現場に携わってきて、ものを生む機械を扱ってきたが、それを人が生を授かることと同レベルに考えたことはない。自分が生産するものにどんなに愛着があったとしても、それと子どもとは違う。当たり前のことで、そんなたとえは思いつきさえもしない。
そんなたとえが頭に浮かぶのは、社会が少子化していく、その背景や問題点を単に生産性ということでしかとらえていない証拠であり、さらにいえば、国民をGDPを押し上げる装置の部品か燃料としか考えていない証拠だろう。
麻生太郎
「明らかに有罪だから逮捕」
と同じく、これらの発言に見られる根強い支配者意識が、実際の社会運営に影を落とすのは、むしろ当然である。
そもそも「女は子どもを産む機械
と思っている人間が、男女共同参画型社会などというものを、イメージできるはずがない。
ちなみに先ほど引用した文章は、佐藤優が「セカイを見破る読書術」で紹介していた
『「婚活」時代』という本の一節である。
「婚活」などというものが流行るこの国の結婚は、つまり、「子どもを産む機械」と「働く機械」が「カネとカラダ」目当てにつながること。それ以上でもそれ以下でもない。信じてもいない神の前で誓う永遠は、所詮その程度のものだろう。