佐久間宣行さんが遅ればせながら『プロミシング・ヤング・ウーマン』を観たそう。絶賛していた。
今更なのは、独立して忙しいのかな、とか、年頃の娘さんがいるから、テーマがきついのかなとか、余計なことを考えた。
それで、また『プロミシング・ヤング・ウーマン』について考えてみたんだけど、ライムスター宇多丸さんの映画評でも、そうなんだけど、ちょっと気になったのは、男性社会のホモソーシャルなありかたという言い方で、それ、ほんとにそうか?って疑問に思う。
「プロミシング」の方が重要なテーマじゃないかなあと思う。つまり、「一軍」と言われる、あるいは「上級国民」と言われる、近年になって突然、既得権を主張し始めたかに見える階級意識のあり方が、むしろテーマだと思う。
「傍観するあなたも同罪」みたいな言い方には同調できない。それは逆にいえば、レイプ犯も、傍観者くらいの罪だと言ってるのと同じだからだ。
そういうことを言う人は、そう言うことで免罪符を手にしたいだけだと思う。「傍観者も同じ罪」な訳ないでしょうに。「見て見ぬふりも同罪ですよね」とか、そう言うこと言いたい人は、意識高いと思われたいんだと思う。そう言っときゃとりあえず間違いないだろう的な。
レイプなんて圧倒的な特権意識がないとしないよ。皇軍の大陸での態度を考えればわかりやすい。レイプは性行為ではないんです。
たとえばメンタリスト何某のあの発言はレイプなんです。性行為の有無は関係ない。性別に問題があるんじゃないかとか考えて、男性の問題だと考えてしまうことがすでに性差別だと思います。
西原理恵子が言ってたけど、学生の頃ははぶかれるのがやだから、言われるままにされてたって。
そういう社会性の貧困の問題であって「プロミシング」って何が約束されたの?。階級社会の一員になることがでしょう?。その社会ってどんな社会だったの?。あの映画の中では男も女も同じように復讐の標的にされてるのに、映画評になると「男性」あるいは「男性社会」の問題ってなっちゃうのおそろしい気がする。見て見ぬふりじゃなくて、論点をずらしてるって思います。