ネオテニージャパン

knockeye2009-06-07

私がいま住んでいるところはとても静かで、今日のように雨上がりの日曜日などは、木洩れ日が落ちる水のように、時が過ぎていってしまう。
東向きの窓から日が差し込まなくなっても、しばらくどこにも出かける気がしない。
午前中に部屋を出ないと、いつもは億劫になってしまうのだけれど、今日は遅い出立になったけれど、上野まで出かけたのである。いつまでも午前のような気持ちのよい日だったので。
東京の美術展の混雑も、朝早くでなければ出かけたくない理由であるが、今回の展覧会はおそらくその心配がないだろうという推測もあった。そして思ったとおりだった。いいことではないけれど、個人的にはありがたい。
上野駅の公園口をおりてすぐの国立西洋美術館ルーヴル美術館展。「ただいま待ち時間100分」となっていた。
上野の森美術館の「ネオテニー・ジャパン」は、高橋龍太郎という人のコレクション展なのである。
もし、ルーヴル美術館展を目当てに上野に来て、混雑に嫌気がさした人はこちらに来てみられることをオススメしたい。もしかしたらこちらの方がずっと面白いかもしれない。
図録の冒頭の「ネオテニージャパンとは?」という文章がとても刺激的だ。斉藤環の寄稿もあってこの図録はお買い得。
先月八王子で見た
「氾濫するイメージ 反芸術以後の印刷メディアと美術 1960's−70's」
を思い出して、不思議な感覚になった。あの展覧会の記事に書いた「時代の魔法」が蘇えっているような気がするのだ。70年代がもっていた、何かが始まる予感を、今の時代も持ちつつあるという気がする。
ネオテニーとは、精神科医でもある高橋龍太郎氏の説明によると「幼形成熟」と訳される言葉で、ひとつの例としてはアホロートル、いわゆるウーパールーパーがそれで、あいつはサンショウウオが幼形を保ったまま性的に成熟したものなのだそうだ。そのような変態過程をユリウス・コルマンてふ学者が「ネオテニー」と命名した。そして、高橋龍太郎氏は日本の今のアートシーンをネオテニーになぞらえているわけである。何とも刺激的だ。ピカソやブラックをキューブ、マチスヴラマンクをフォーブと呼ぶよりずっと示唆に富む命名だと思う。
高橋氏によると「ネオテニー」という概念を一躍有名にしたのは、1925年、ボルグの行なった講演で、彼は、人類は類人猿のネオテニーであると主張したのだ。そういわれてみればたしかに私たちは、サンショウウオよりはウーパールーパーに似ている。
私はこの一ヶ月ほど、ずいぶん不思議な体験をしてきたことになる。
4月ごろから長谷川等伯狩野山雪、曽我蕭白円山応挙長澤芦雪俵屋宗達尾形光琳酒井抱一、鈴木其一、葛飾北斎、などなど近世のすぐれた絵画をみまくって、そのあと60〜70年代の、粟津潔つげ義春中村宏木村恒久タイガー立石宇野亜喜良横尾忠則、などなどを見て、そしてこの展覧会で、奈良美智、町田久美、鴻池朋子山口晃小谷元彦天明屋尚加藤泉束芋、照屋勇賢、名和晃平会田誠加藤美佳村上隆、などなどなどの作品を見た。ちょっとしたタイムトラベルだ。
そのタイムトラベルから帰ってみると、明治以降の日本は絵画が一番低迷した時代だったように見える。
明治以降、日本の絵は急速にダメになった。よい画家がいなかったわけではないし、よい絵がなかったわけではないが、どういうわけかしょうもない画家が持ち上げられて、よい画家が貶められてきた。だからそれは絵を描く側の問題ではなく、それを見る側の問題だった。村上隆がアートマーケットが存在するところで成功を収めたことで日本国内の絵を見る側の貧弱さが露呈された。レオナール・フジタが日本人をやめてフランス人になるのも当然だといえないだろうか。
もちろん、画家自身は内的な衝動で絵を描くだろう。アートシーンのために絵を描くのではないだろう。だが、貧弱なアートシーンでは職業人としての画家は生きていけない。
しかし、その状況が変わっていく芽が出始めたように見える。とにかく面白くなってきた。今が一番面白いのかもしれないけど。