「ノウイング」

ニコラス・ケイジトム・ハンクスは、彼らが出演しているだけで観にいく値打ちのある役者だと思っている。
しかし、漏れ聞くところ、ニコラス・ケイジは、ときどき日本で公開されない作品があるらしい。とくに、「ウエザーマン」はどういうわけで日本で公開されなかったのかちょっと義憤を感じていたりする。
というわけで、彼らの映画はなるべく見ることにしているが、トム・ハンクスの最新作は、前のアメリと共演したやつの続編で、やや宗教色が強すぎる点、ちょっと敬遠している。
アメリカ人は意識してか無意識かときどきキリスト教に偏向した映画を撮ることがある。以前、ヒラリー・スワンク目当てで「リーピング」というのを観たら、まるっきりのキリスト教系ホラーで仏教徒の私は全く怖くなかったのである。
「ノウイング」もあらすじだけ聞くと、その種の危惧があったのだけれど、ちょっと驚いた展開を見せる。
なんと「おくりびと」の影響がみてとれるのだ。もし、この脚本家が「『おくりびと』なんて知りません」ということなら、それこそシンクロニシティーなのだろう。
おくりびと」に関していえば、名作の多かった2008年の日本映画の中で、ベストだったかといわれれば個人的には疑問が残る。
「赫い髪の女」の脚本家、荒井晴彦は、あの父親が最後に石ころを握っていたところが気になるそうである。
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おくりびと』が見事なのは、とにかく観客にウケるツボを押さえてるところだよね。さすがテレビの構成作家だなと思った。おれが観た時に隣りの席に座ってた男はメガネ外して泣いてたよ(笑)。

まぁ、作るほうだって全勢力を傾けてそうやって作ってるわけだから、泣くのはいいんだよ。けどさ、泣くのと「この映画ちょっとおかしいぞ」と思うことは別。

死んだ父親が石ころを握ってるのは、作り手や主人公にとって必要なんだけど、父親の側がその都合だけでいる。

父親はいつあの石ころを握ったのか、主人公がそれを見ると確信してたのかと疑問が出てくると、あの映画の薄っぺらな作りが見えてくる。