人生のちょっとした煩い

人生のちょっとした煩い (文春文庫)

人生のちょっとした煩い (文春文庫)

『最後の瞬間のすごく大きな変化』につぐ村上春樹グレイス・ペイリー第二弾。今度も表紙はエドワード・ホッパーである。
『最後の・・・』を読んだときは、このひとはアメリカの富岡多恵子かと思ったのだけれど、今回のはちょっと感触が違う。
特に最後のふたつは、富岡多恵子というより三木聡の味わい。
村上春樹のあとがきによると、この『人生のちょっとした煩い』は、グレイス・ペイリーの処女小説をふくむ処女短編集だそうだ。1959年出版。
処女作は「さらならグッドラック」か「コンテスト」のどちらかだが、ともかくも「若くても、若くなくても、女性というものは」をそれに加えた三作品が最初に書かれた小説群だそうである。
しかし、村上春樹の翻訳にむかう欲求とは何だろうか?
どこかに書いていたと思うのだけれど、創作に疲れたら翻訳をし、翻訳に疲れたら創作をして、そうして延々と書き続けられるそうなのである。
そのもの書きとしての足腰の強さにはやはり驚かされるが、じゃあ(と、素人は単純に思ってしまう)いっそのこと英語で小説を書こうとは思わないものなのだろうか。カズオ・イシグロみたいに。
多和田葉子がドイツ語でも小説を書くみたいに、村上春樹が英語でも小説を書かないのは、逆に不思議に感じてしまう。
こんなに翻訳する小説家は過去に例がないのではないか。村上春樹にとって翻訳とは何なんだろうか。
彼は、まったく関西弁を使わない関西人だが、彼にとって言葉の母胎はどこにあるのだろうとか、そういうところまで不思議に感じてしまう。