山越阿弥陀図屏風、吉野龍田図屏風、風俗四季哥仙 立春

knockeye2009-11-15

昨日はJRも運休するほどの強風。朝のうちは雨も激しいのでどこにもでかけずにいた。
今日は一転目にしみる青空。ホント絵の具のにおいがしそう。
出光美術館
ユートピア - 描かれし夢と楽園」
という展覧会を観にいった。
今、出品リストを見ながら、どうして今日この展覧会を観にいく気になったのか自分の心理がわかった。きっと<山越阿弥陀図>だろう。
富山には図らずもたぶん人生の中でもっとも長い年月を暮らした。冬になると重い雲が垂れ込めて春までとれないのだけれど、今日のような秋晴れの日があると、立山連峰の向こうに剣岳のいただきがくっきりと見える。ひそかに山越の阿弥陀仏のようだと思っていたのだった。
もっともそのころ思い描いていたのは、今日展示されていた詫磨栄賀の<山越阿弥陀図>ではなく、折口信夫の「死者の書」であるけれど。
譬えではなく、剣岳の山頂はほんとうに阿弥陀仏の頭頂部によく似ている。思いがけず晴れた日にそれが目に飛び込んでくると、阿弥陀仏が山なみの向こうから頭を出す、まさにその瞬間のようなドラマティックな効果がある。滅多に晴れないから余計そうなのだろう。
<吉野龍田図屏風>は、桜を描いた吉野と紅葉を描いた龍田が二隻で一双になっている。たしか以前、根津美術館で観たことがあると思ったが、あれとはまた別ものなのだそうだ。たしか根津美術館のものもそうだったと思うが、これも誰が描いたかわからない。サントリー美術館の烏図屏風もそうだった。
これほどの絵を描いた人が誰でもない無名性のなかに消え去っていく。目の前にある圧倒的な絵の存在感とその無名性が心の中で激しく響きあい混乱した。
鼻先に絵の具を突きつけられたような青色が、実は成層圏まで突き抜ける虚無であることが、ひどく納得できない今日の青空のように、これらの絵を描いた人の名前がないことが、弱い心にはとても耐えられないような気がした。
<日月四季檜図屏風>
これも、Artist Unknown。檜という針葉常緑樹をモチーフに四季を表現している。
仙がいの<百寿老画賛>には思わず笑ってしまった。百人の年寄りが寿老人を神輿にかついで浮かれている。老人祭りである。これを見ると、高齢化社会とか介護問題とかで悩んでいるのがすごいばかばかしいように思えてくる。斉藤秋圃という仙がい和尚の弟子が描いた‘仙がいの’涅槃図もあった。これも洒脱だった。
立原杏所という画家の<雪月花図>という三幅対の掛け軸にはうなった。日本画にはあまりない独特の奥行き感がある絵だった。
ゴージャスないい女の絵は<桜下弾弦図屏風>。海北友松の<琴棋書画図屏風>も、いわゆる‘お見立て’というのだろうか、面白かった。
出光美術館の休憩所からは、眼下に江戸城のお堀が望める。樹々が色づき始めていた。
何週間か前、バーミヤンに入ったら,となりの席にいたのが中国人とフィリピン人の女子大生で、日本語でたどたどしい会話をしていた。フィリピン人のほうは英語はぺらぺらなので、ときどき日本語に詰まると英語をしゃべる。しかし、中国人のほうは英語が苦手みたいで、それで英語と日本語でなんとか意志の疎通を図っているみたいだった。そのときフィリピン人が言っていた。日本の秋は樹がオレンジ色になってきれいだって。

出光美術館まできたら、ついでに三井記念美術館に寄ればいいのである。
前期、中期と通い詰めた「高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展」の後期である。
<風俗四季哥仙 立春>を見ていて思った。鈴木春信の、両性的なユニセックスな感じは狙いなんじゃないのかと。絡み合っている2人の、どちらが男でどちらが女かは、服装と髪型で判断しないとわからない。それで丹念に見てしまうと、なんか生々しい感じがたちのぼってくる。なめるように目が追う線がセクシーなのだ。
喜多川歌麿や鳥居清長の女は確かに美女だけれど、春信のようにあぶないにおいは感じなかった。
喜多川歌麿の<教訓親の目鑑 俗に云ばくれん>とか、鳥居清長の<色競艶婦姿 口論>とかは、当時の風俗が、つまり、歌麿や清長の同時代に生きた男女の有様が、活写されている。
これと較べると鈴木春信のエロティシズムはやはり独特であると思う。男女の差を消し去ってしまうことで、描かれている対象の個人史が消え去って、そこに男女の衣裳に包まれた肉感だけが残るのではないかと思う。
栄松斎長喜の<蚊帳の内外>なんてのもセクシーだけど、やはりそこにいるのは、特定の男女なのである。
歌川広重東海道五十三次の内<蒲原 夜の雪>や、近江八景の内<比良暮雪>の抒情は日本人のDNAに訴えかけるものがあるけれど、同時に名所江戸百景の<王子装束ゑの木大晦日の狐火>のような超自然的な幻想が、自然の風景と地続きにあったということもやはり思っておくべきなのだと思う。
自然をただ写したというだけではなく、その美の裏づけとして、自然や人知を超えた存在への確信が、当然のこととしてあったということを軽視するべきではないと思う。