「ハートロッカー」

knockeye2010-03-06

海老名だけかどうかしらないけれど、ワーナーマイカルシネマでは、どの映画も1000円というキャンペーンを断行中。このデフレ下、さすがにTOHOシネマズ海老名との差別化を図ろうとしているのだろう。
リーマンショックブラザーズ以前は、両館とも上映作品までまったく横並びだったが、そこにも競争原理が働き始めたらしく、客としては選択肢が増えてありがたい。
TOHOのほうに「ハートロッカー」がかかったので観にいってきた。
前評判どおりの高いクォリティーで、演出の緊密さに惹き込まれてしまった。
戦場ではなく、テロが日常化したイラクの市街地で戦う兵士の現実が、たとえていうと、爆発物の処理に、神経が極限までとがっていく、その緊張がふとゆるんで振り返ると、背後で普通に子どもが走り回っているというような、市街戦ならではの緩急の使い分けがとてもたくみだと思う。
私はどちらかというと、映画は最後より最初で決まるという好みなので、この映画は最初のエピソードのソリッドな演出で、もう持っていかれてしまった。
だが、この映画の怖さはラストにある。
女性の監督が描いた戦争映画ということは、頭の片隅におきつつ観ていた。
軍隊にも女性が当然のように携わるアメリカだから、戦争映画を女性が描くことに、偏見をもつべきではないと意識していたが、ラストエピソードではそんな上から目線は見事にひっくりかえされる。
「わかってるよ、男たちにとっての戦争ってつまりこういうことだよね」
と、ポンと背中をたたかれた気がして、映画のそれまでのシーンがフラッシュバックするようだった。
どこかで戦争映画を自分たちだけの結界にしてしまっている男たちの心の底を見透かされてしまっている気がした。
この監督は、いまさら戦争の悲惨さを描こうとしているのではなく、ベッドの下に隠している男たちの秘密を引きずり出して見せているのだ。
心理学のほうでいう‘ロボット願望’については、以前にも書いたことがある。男たちが心の奥底に抱いている生存の不安を引きずり出して、
「ほらこれでしょう」
「これがあるから、あなたたちは戦争をやめらないんでしょう?」
と。