昔日のママゴトなど

 野田秀樹は「たぶん、自分がその最後の世代だと思うが」、内ゲバで学生が殺される現場を目撃したと、ラジオで話していた。
 今の若い人たちは知らないかもしれないが、当時の東大生は‘ホントに’殺しあっていた。
 野田秀樹の目撃談によると、標的になる学生を大勢で取り囲んで、まず、膝から下を集中的にたたいて立てなくした後、角材で殴り殺す。当時はゲバ棒とか言った。おそらく、一人死んだくらいでは、警察沙汰にもならなかったのではないか。
 また、同じころ、中国ではこんな証言もある。

 一九六六年、文化大革命が始まったばかりの年でした。
 ある日、私は友だちの琴さんと彼女の家で遊んでいました。琴(きん)さんのおじいさんとおばあさんは、椅子に坐って、私たちの遊びを眺めていました。
 その時、突然ドアが蹴飛ばされ、紅衛兵一団が流れ込んで来ました。彼らは琴さんのおじいさんとおばあさんを囲んで、暴力を振るいかかりました。
 その中の一人の十六歳の中学生は、腰にあったベルトを使って、二人に思う存分に暴力を振るいました。そして手に持っていた刀で、おじいさんの鼻の肉を削ぎ落としました。 
 次ぎにおばあさんをその場で殴り殺したのです。

http://hk-kishi.web.infoseek.co.jp/kokoro-355.htm

 たぶん、全共闘世代に属する菅直人や仙石由人の目から見れば、今日の反日デモや反中国デモなど、ママゴトみたいに見えるだろう。
 それにしても、領土問題にデモが役に立つだろうか?
 仮面ライダーの敵キャラが、世界征服をもくろんで幼稚園バスを襲うのと似ている。
 今週の週刊SPA!に、城繁幸はこう書いている。

 日本の不動産を買い、銀座でショッピングを楽しむ中国人と、上海に会社を移す日本人ビジネスマンは、経済のメインストリームに属し、同じような価値観を共有している‘同志’といえる。
 逆に、四川や秋葉原で商店にデモして喜んでいる人たち同士も、本質的にはまったく同じ種類の人間だ。要するに、国をまたぐ形で新たなグループが形成されつつあるわけだ。これこそグローバル化の本質である。

 国家主義者は、どの国でもよく似ている。多分、満足に自我が確立していないからだろう。
 多くの大人にとっては、国の文化は、自己の属性のひとつにすぎない。ところが、国家主義者は、自己の存在意義そのものを国家に依存してしまう。
 国家主義者のいう日本文化に奈良平安の文化が含まれていることはまずない。それどころか、江戸時代や大正時代までさかのぼることすらない。
 彼らの言う‘日本文化’は、要するに、自分の親の世代の価値観に過ぎない。彼らは自分の親の価値観から抜け出せないに過ぎない。
 そういう心理を一般的には‘マザコン’と呼びならわしていると思うが、ちがうだろうか。