グローバリズムと国際ルール

 昔、前田日明が、「強さとは何か?」と尋ねられて、「ルールだ」と即答したと記憶している。詳細は不確かだけれど、大意は違っていないと思う。強く印象に残っている。たしか、中島らもの本で読んだはずだ。
 あなたが前田日明を倒せるか?実は、それはさほど難しくない。前田日明めがけてアクセルを踏み込めばいい。かなりの確率で倒せる。
 で?それでどうなる?それがあなたの強さを証明してくれるか?証明してくれない。そこにルールがないからだ。強い男たちは、自分の強さを証明してくれるのがルールだけだと知っている。だから、彼らはルールを守る。ルールを守っているということが強さの証ともいえる。
 尖閣海域での一連の事件に関して、菅直人や仙石由人の対応がとかく批判されているが、あの事件は、中国が、国際社会のルールに敬意を抱いていないことを明らかにしてみせたという点で、大きな得点だった。あの事件から、国際社会の中国に対する態度に、警戒色が加わったことは確かだといえるはずだ。
 この得点をあげたプレーヤーは誰だったか、なんとなく自殺点めいたゴールではあったけれど、前原誠司菅直人も仙石由人も、まあまあ評価できるプレーをしたと言っていいと思っている。
 むしろ、私が懸念するのは、菅直人や仙石由人を‘弱腰’だとか批判する人たちの中に、中国と同じく、国際社会のルールを撥無する気持ちがないかということの方だ。
 国際社会のルールを遵守して動いている限り、わたしたちは強さを失わない。そのことは信じていていい。
 加藤祐子コラムを読んでいると、日本ではあまり報道されていないが、日中、米中だけではなく、韓国と中国の間もかなり冷え切ってきているようだ。記事を読む限り、韓国が中国の傲慢な態度に腹を立てるのも当然だと思う。
 中国は、経済力を得て、自分たちが国際ルールの外にいられることを、得意に思っているかもしれないが、前田日明の言うように、強さはルールの中にしかない。
 かつては日本も国際社会のルールを無視していた時代があったと思う。そのころのことについて、誇りに思ったり、美化したりするのはくだらないことだ。
 本当に価値があることだけが生き残る。あまりにも当たり前のことだ。
 それはほかのすべてのことに当てはまる。
 北方領土は「日本固有の領土です」と、かたくなに言い続けることが、国際社会に理解されるかと考えてみれば、次の一歩が踏み出せるはずだ。少なくとも、麻生政権がやったように、日本国内で「あれはうちのものだ」と採決したところで何の意味もない。
 TPPについても同じように考えることができると思う。グローバリズムに反対して、鎖国の民になって何になるだろうか。国際ルールの中にいるという、強さの最低条件を、自分からうち捨てるのは、とてつもなくばかげている。