菅直人と軍手の話

 なんかの雑誌で、どこかのお作法の先生が、市川海老蔵の謝り方を褒めていた。
 誰かに殴られて謝罪会見、というのも相当シュールだと思ったけれど、その謝り方を評論する先生がいる、という突き抜け方を見せつけられちゃうと、この国で「正義の話」なんてするのは物騒きわまりないという気がする。この国で、マイケル・サンデルに先んじて正義の話をしたのは、鳩山邦夫だし(それとも、不正義の話だったか)。
 謝罪会見で思い出したのだけれど、国母和宏の謝り方なぞは、お作法の先生から見れば、たぶん、いただけないのだろう。
 礼儀作法なんて、しょせん、そんなものなのである。あのとき、国母和宏市川海老蔵みたいな謝り方してたら、笑えただろうなぁ。
 先週か、もっと前か、忘れたけど、菅直人硫黄島の遺骨収集に行った時の写真を新聞で見たら、軍手をしたまま合掌していた。肉食妻帯を許されている真宗門徒の目から見ても、あれは少し違和感があった。ほんのすこしだけど。
 軍手をしたまま合掌したからといって、誠意がなかったとは思わない。むしろ、誠実な人柄が伝わったいい写真だと思った。が、一方で、政治家として、見られている意識が、やはり、低いんだなぁとも思った。
 仄聞するところ、小沢一郎との会談では、菅直人は「小沢氏の発言のコピーを秘書官にもってこさせて詰問するに至っ」たという。
 私が、菅直人という人を見ていて、いつも感じるのは、論理的に正しい正しくないはともかく、自分の言動が人にどう取られるかという感覚がいちじるしく欠如しているということ。
 だが、菅直人小沢一郎に感情的になる気持ちもよくわかる。「一兵卒として」とかなんとかいいつつ、結局、徒党を組んで執行部批判をくりかえしている。
 ほんとに一兵卒なら、「出ろ」と言われたら出ればいいのだ。それができない、どころか、幹事長にさえ門前払いを食らわす。つまり、なるべき時に、一兵卒になれない、だから、人がついてこない。こうみてくると、福田和也が指摘したとおり、「器が小さい」は、小沢一郎を評するにふさわしい言葉だったな。
 政権交代以降、鳩山由紀夫小沢一郎菅直人、と、三者三様の失敗の見本を見せられているように思う。しかし、国の指導者に、反面教師の役割を期待したわけではないのだから。