有吉弘行が獲得した絶妙な‘殺伐’

 猿岩石を、一躍スターダムに押し上げたのは、日本テレビの「進め!電波少年」だったけど、ああいう番組は関西では受けない。
 高収入のテレビの管理職が、若手の芸人に無茶させて、高見の見物を決め込んでいるのが、何が面白いのか、すくなくとも私にはわからなかった。
 あの企画が終わった後、しばらく、消えていた有吉弘行が、去年あたりからまた再ブレイクしているのは知っていた。特にこころにひっかることもなかったのだけど、ちょっと「お」と思うことがあったのは、ロンブー淳の司会している番組で、1,000本ノックみたいな企画を見た。
 1,000本ノックというのは、もちろん、たとえで、しっかり見たわけではないので、断言できないけれど、どうもあれは、総勢50人くらい、ひな壇に並んだパネラーに対峙して、全員の悪口を言ってたんじゃないかと思う。
 「こいつ芸人なんだ」と思った。だからっつって、別にザッピングの手を止めて、顛末を見届けたりはしないのだけれど。しかし、現場の空気の険悪さはそうとうなもののようだった。                   
 それで、後から考えてみた。ロンブー淳もそうだけど、有吉弘行がまとっているあの殺伐さが、今という時代に、確信的に受けている。殺伐なのに受けているのではなく、殺伐だから受けているのでもなく、殺伐さそのものが受けている。 それは、たぶん、その殺伐さが、今という時代の、生の現実を正確に描写しているからだろうと思ったわけだった。                
 あいつのせいだ、テレビに出すなと、ヒステリックにわめき散らす大人たちの現実を、子供たちは、たぶん、頭で理解するよりももっと深い層で、把握しているだろう。                          
 そういう今という時代の現実に、有吉の醸し出す‘殺伐’は、実に絶妙。あれほど絶妙ならば、‘殺伐’も立派に芸でありうる。
 高見の見物の大衆迎合ポピュリズムの空疎さの向こう側に、一度は突き抜けた有吉だからこそ獲得できた、絶妙な‘殺伐’。