東北沖で地震

 昨日の3時ごろ、東北沖で大地震が発生したとき、私の住んでいる神奈川でも、かなり大きく揺れて、しかも長く続いた。
 西脇にいて経験した阪神大震災の揺れに比べると、突き上げる感じは少なく、すべるような揺れ方で、波長は長いように感じた。
 工場の機械がとまらないので、たぶん、大丈夫なんだろうと多寡をくくっていたが、携帯で、震源地が東北だと知って、神奈川であの揺れ方だと、東北の被害はかなりひどいと案ぜられた。
 第一報で、被害の全貌が明らかにならないのは、阪神大震災の時に経験済み。
 あのとき、テレビが伝えた第一報は、京都のホテルで食器が割れた、程度のことだった。早朝のことで、国全体がまだ眠っていた。
 その夜のニュースステーションでは、みるみる積み上がっていく死者数を伝えながら、久米宏
「現場が混乱していますので、この数は、2重に数えているかも知れません」
と言ったのを憶えている。 
 事実は、その段階の死者数では、0がひとつ足りなかった。
 しかし、今はあの頃より、建築基準なども格段に厳しくなっているので、被害は小さいかも、という希望的観測は、深夜のテレビで、気仙沼の火災を見たとき、完全に潰え去った。大津波が加わっただけ、あのときより被害が甚大かもしれない。
 これからどうなるのだろう、と思うと、阪神大震災から今まで、自分がどうやって食いつないできたのか、ということを、いやでも思い出さずにいられない。
 阪神淡路大震災の被災者たちは、あれからどうやって生きてきたのだろう?
 立ち直ったのだろうか?傷が癒えたのだろうか?
 こちらに越してきて、少し驚いたのは、関東の人は、阪神大震災の日付すら知らないということだった。
 あの被災者たちが、立ち直ったのか、傷が癒えたのか、誰かは立ち直り、誰かは立ち直れなかった。そして、誰かの傷は癒えなかったとしても、この国の社会が、確実にしたといえる、ただひとつのことは、忘れ去ったことだけだ。
 懸命に立ち直った人がいる。癒えない傷もある。しかし、そんなことにはおかまいなく、人々は忘れ去る。
 ただ忘れるだけでなく、むしろ、特定の過去と、場所と、人を、忘れ去ろうとする使命感が、実は、日本人に固有らしい‘正義の本性’ではないかと思うこともある。忘れ去らないものたちは、たいがい、「空気を読め」とか、「大人げない」とか言われる。
 自分たちが、過去に犯した過ちや、現に抱えている欠点に、真摯に向き合って解決していくことをせず、自分たちには過誤も欠点もない、と思い込む、観念操作を術として、自分たちにしか通用しない正義を、日本人は捻出する。そして、「ちがう」と言い、改革しようとする人間には、悪の烙印を押す。別に珍しくもない、典型的な閉鎖社会だが。
 一夜明けて、事態は、原発事故の様相も呈してきた。
 原子力発電は、事故を起こすたびに「絶対安全」と宣言して、また、それがすんなりと受け入れられてきたが、今回、東京電力計画停電を余儀なくされるようだ。
「官民そろって目指してきた『原発立国』に暗雲が垂れこめている。」
と、新聞に書いてあったが、一般庶民は、別に「原発立国」なんて目指した憶えはない。
 もし、原発運転再開がとどこおるようであれば、個人住宅の再建と相俟って、太陽光発電などの代替エネルギーの普及が、一気に広がるのではないかとも思う。ちなみに、阪神大震災は携帯電話を一気に普及させた。
 奇しくも、今週のNewsweekには、フランスの電力会社が、日本と同じく地震国のチリに、原子力発電所を建設する計画に意欲を示していて、これが、住民の不安をかき立てている、という記事が載っていた。もちろん、この地震の前に書かれたので、このことがどのような展開を見せるか興味深い。