動機が不純

 太陽光発電だけでなく、自然エネルギーの普及のためには、全量買い取り制度や発送電分離は欠かせない。
 これに反対する米倉経団連会長の‘動機が不純’という(?)な発言は、中学生の娘が、初めて一人旅に出かけるときに、父親が口にする言葉と似ている。つまり‘反対する理由が見つからない’ということなのだろう。
 自然エネルギーの促進は、成長戦略でもある。ドイツや韓国などの工業国が、そちらに舵を取り始めているのも、むしろ、その競争に出遅れまいとする意味が大きいはずだ。
 これまでにも何度か書いてきたように、少なくとも80年代のころは、日本の環境技術は世界に冠たるものだった。日本は環境先進国と目されていたはずだ。
 そのとき、日本の政治が健全な判断をしていたならば、その技術を次世代の成長戦略として育てていこうとしたはずである。
 それがなされなかったのはなぜかといえば、政治家も官僚も、既得権益と癒着し、むしろ、一心同体となって、起こるべき産業構造の転換を阻止したからだった、ということが、こうして原発事故が起こってみるとよくわかる。
 米倉会長は、‘全量買い取り制度で、電気料金が上がれば、企業は海外に出て行かざるえない’旨の発言をしている。
 私は、それは一面ただしいと思う。
 だが、それが正しいのは、‘産業構造が高度成長期のまま変化していないから’にすぎない。
 企業が海外に出て行くといって、どこに出て行くつもりか知らないが、それはその企業が、常に価格競争にさらされる、大量規格生産の発想から一歩も前に進んでいない証明でもあるといいたい。
 東日本大震災は、日本が世界のサプライチェーンに大きな比重を占めていることを明らかにしたが、見方を変えれば、それは、この国がいまだに、部品メーカーでしかないことを証明してもいる。
 政権交代の当初、‘民主党には成長戦略がない’と批判されたものだったのに、自然エネルギーという有望な成長戦略に踏み出そうとすると、産業界から批判や抵抗が沸き起こるのは、まったく滑稽なほどだ。
 繊維は自動車にとってかわられる。石炭は石油に座を奪われる。なぜ、原子力だけが永遠だと思うのだろう?しかも、これだけの大事故を起こしておきながら。
 自然エネルギーへの転換の過程で、‘電気料金があがるから海外に出て行かざるえない’というような企業は、所詮、淘汰されていく企業にすぎないと、自ら認めているようなものだ。
 政官財の癒着がなければ生きていけない、そうしたゾンビのような企業が、どうしても海外に出て行くというなら暖かく見送ってあげるべきではないだろうか?Bon Voyageと。たとえ、動機が不純であっても。