スマートグリッド

 スマートグリッドが最も重要じゃないだろうか。
 福島以後のエネルギー政策について、原発vs.脱原発のように、発電の選択問題に国民の目を向けさせようとしているのだろうが、まず最優先されるべき課題は、発電ではなく送電なのだ。送電が自由化されなければ、発電の議論は無意味になる。
 原発や火力に比べて自然エネルギーが不安定なのは、むしろ当然だが、その不安定さを補う技術こそスマートグリッドなのだし、また、一方で、いろいろな企業が自家発電している電力の余剰分、いわゆる埋蔵電力だけでも、送電の仕組みさえきちんとすれば、いま不足している電力を補ってあまりあるといわれている。
 埋蔵電力よりもっと小さな規模の発電を量的に増やして、効率的に集配電できるようになれば、量的な変化が質的な変化を起こしうる。それは、私たちがインターネットの普及の過程で見てきたことではなかったかと思う。
 再生エネルギー促進法案が、菅直人の延命策だという人がいるが、G8でソーラーパネル1000戸構想を表明していなければ、辞任にまで追い込まれたのだろうか、と疑ってみると、話はまったく逆になる。むしろ、辞任を表明したあとに、東京電力の裏工作に気がついて、再生エネルギー促進法案を辞任の条件に加えたと見る方が自然だろう。
 さらにいえば、再生エネルギー促進法案が、菅直人の延命策か否かはどうでもいいじゃないか。
 問題は法案の中身であるべきなのに、‘辞めるっていったくせにずるい’みたいな議論に価値があるだろうか。
 先日も書いたが、いま、菅直人が政局のイニシアチブを握っているのは、菅直人以外だれひとりとして政策といえるものを掲げていないからだ。
 小沢一郎菅直人を引きずり下ろしたかっただけ。鳩山由紀夫民主党を守りたかっただけ。谷垣禎一は‘菅直人以外ならいくらでもやり方はある’といいながら、結局、どんな未来図も示せない。
 すでに見てきたように、自民党東京電力鳩山由紀夫小沢一郎には、なんらかの連携があったと推測される。不信任案決議では、現に国民の目の前で連携しようとしたのだから、あえて推測するまでもないが、かつては、小泉純一郎をロシアに追いやっている留守に、森喜朗郵政民営化をつぶそうと画策したこともあったし、外遊中を狙うのは、自民党の常套手段かもしれない。
 政権交代選挙の大敗をうけて、変わらなければならなかったのに、自民党はあれから、なにもかわっていない。あれだけ大敗したのに、党改革すらできない。テレビでは論客ぶっていても、党を動かしているのは、あいもかわらず族議員たちにすぎない。
 菅直人を引きずり下ろす大義もなく、そのあとの戦略もなく、見え隠れするのは、既得権益の走狗というありさまでは、求心力を持ちえないのは当然だと思う。
 いまだに、高度成長期の産業構造を維持しつづけようとする、既得権益の妨害で、構造改革のチャンスを何度も逸してきたことが、失われた十年とか、二十年とかいわれている、この国の停滞の本質だった。
 IAEAが、レベル8の新設を考慮するほどの大事故に見舞われても、とっくに着手すべきだった構造転換を、また先送りするなら、一体、この国の政治家や官僚に存在価値があるのかといいたい。
 何度も書いているが、わたしは別に菅直人を応援していない。それは、西松事件の時に、小沢一郎を応援していたわけではないのと同じ意味だ。あのときの東京地検特捜部が、いまは東京電力に変わったが、本質的な癒着の構造が変わらないかぎり、同じような弊害は、姿を変えて何度でも立ち現れるだろう。
 たぶん、この国の‘おとな’という概念は傷んでいる。
 おとなは社会に適応しなければならないのではなく、社会に義務を負っているはずだ。社会を支える構造がダメになったとき、おとなは、その構造転換にも責任がある。そんなときに、大勢に順応するしかなく、戦いから逃げつづけるのだとすれば、この国のおとなに、こどもたちを叱る資格があるだろうか。
 ‘長いものには巻かれろ’、‘臭いものには蓋をしろ’、それ以外におとながこどもに伝えることがないとすれば、そのときはむしろ、社会そのものがメルトダウンしている。